女は女である

雑記帳

暇と退屈の倫理学

「暇と退屈の倫理学國分功一郎

私と大学と学部がいっしょだし、誕生日も一緒と知って嬉しかった國分さん。

ぴったり20歳差。

 視点がたいへん若者らしい。すこしひねくれた大学生みたい。

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学

 

大学生はとにかくこれを読んだらいい、と思う。

暇と退屈。

大学生は暇。なにをするか、自分で選ばなくちゃいけない。

  暇なとき、わたしたちはわたしたち自身とふたりっきりになってしまう。そうして終わりのない問答がはじまる。町をゆけば行き交う人々とつぎつぎと奇抜な映像が映し出されるスクリーン、ネットをひらけばぞくぞくとアップロードされるFacebookTwitterの投稿、世界は絶え間なく動いている。私自身とふたりっきりになった私は、ジャムをつくるために苺を砂糖でにつめるときのように、ひたすら濃くよどみ、どんどん固体化していくような気持ちになる。動かない私と、動き続ける世界。おいていかれたような気がする。これが孤独感を引き起こすのである。

 

 

 

 時間の使い方 ってとてもむつかしい、と思う。わたしたちは時間の使い方をしらない。「なにか」に「熱中」したいと思っている。それは自己意識からの逃避のためであるし、自己実現のためでもある。でもその「なにか」をみつけたひとなんてほんのひとにぎり。自分がすきな時間の使い方さえ知らない。日本の小中高では正解が設定されている。テレビ、まんが、すべてはテンプレートのように理想像をうつしだす。そんな中で暮らしてきた私たちが、自分がなにをしているときほんとうにしあわせになれるかなんてみつけられるのだろうか。みつけられない私たちは、うつくしい人々が登場するうつくしい物語をあらわした広告を最適解に設定し、理想のライフスタイルをそこにあてはめる。そしてなにかに「熱中」したいわかもの、は大義名分がお気に召すようで、学生運動だのにせいをだす。まぁなにでもみつかればよいのだけど、みつからなければおつぎは時間を「つぶす」ことをはじめようとする。

 時間をどうつかおうか。すべては大学生カタログに載っている。サークル、アルバイト、飲み会、宅飲み花火大会、BBQ、カフェ、女子会、サッカー観戦、彼氏/彼女・・・インターン、学生団体、講演会、起業家、レファレンス、英語学習、TOEFL勉強、留学、プログラミングの勉強。どれもたのしいはずだと私も思う。でも文化のすべてがルーティーン。わたしはときどきとてもばからしく感じてしまう。

 自分がなにをすきか、ということなんて別にわからなくたっていきていける。

でも、じぶんがなにをすきかを理解していなければ、そしてすきのたいせつさを理解していなければ、就職活動がとつぜんはじまったとき、きっといわゆる「正解」をもとめて、そしてその正解にもっともちかいみち、に殺到するような大学生、になってしまいそうな気がするのです。わたしはそれにはきっと納得できないもの。失敗にも慣れていない優等生な、心配性なわたしたちは、きっと一番正解に近いように見える選択肢をとるのだろう。

 

私は好きなことしかしない。

私は自分の人生を、
自分が好きなことだけで切り開いてきたの。

 

っていうシャネルのことば、こんなこといえる人にならなくてはとおもう。

好きなことを追い求めるには中途半端に賢いし、なにより私は臆病すぎるのだ

 

 大学はとてもたのしい。でもルーティーンばかり、記号ばかり。

 記号と記号のあいまをぬって、記号を利用しながら、

 記号につねにゲシュタルト崩壊しているような、

 そんなひねた女子大生に私はなりたいなとおもう所存です。

 

 

 

これもよんだよ「鉄の時代」。よかった。とても。

鉄の時代 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-11)

鉄の時代 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-11)