女は女である

雑記帳

私にとって、本を読むということ。

 

 (できるだけ)毎日本を読んで、それについての感想をかいていくことにした。

 昔から敬愛してやまない<歩く生き字引>然とした松岡正剛先生の「千夜千冊」(http://1000ya.isis.ne.jp/top/)と出会ってから、ぼんやりとしたあこがれをいだいてた読書日記。わたし、本はいっぱい読むんだけど、なんとなく流し読みしてしまっているような気がすることも多くて・・・

 よくいわれることだけれど、アウトプットを前提にしたインプットはよりsolidになるもの。読書日記を通してもっとじっくり読みたいな。

 あと、読書を有意義なものにする方法といえば<ひだ>を増やすこと。読書って、川を流れていくようなもので、ひっかかる枝や石やらがないかぎりはとどまらずに終わってしまうでしょう。こころに枝やら石やらがおおければおおいほど、現代ふうに言えば、<検索タグ><キーワード>が多いほど、こころに本の中のフレーズやことばがひっかっかって、簡単には前に進めなくなる。つまりはこころの<ひだ>が多いほど、読書は時間と労力とを要する行為にかわるのだ。そのひとつひとつの、進もうとするたびひっかかる<ひだ>は、日常的に身近に感じているテーマだったり自分の深層心理にねざしていることだったり。そのひっかかったぶぶんを、自分の口と胃とで反芻しているうちにもっとよく本をよみこめるようになるもの。それまで受動的だった読書が、とつぜん能動的なものにかわるの。

 わたし、経験というものは、その<ひだ>を増やすことだと思う。インドネシアなんて、東南アジアにある国、発展途上国特有の土と埃と煙につつまれた国、としか思っていなかったけれど、なんとなく応募したプログラムに参加して、インドネシア人の友人を得たり実際に向こうに行ってみて、わたしの世界のある部分を占めるようになった。それからはテレビから「インドネシア」というワードが聞こえればすぐ振り返るようになったし、インドネシアということばを新聞記事の見出しにみつければ、それをなんとなく読むようになった。

 これは安直な例だけど、たとえば、日常生活の中で男女不平等な扱いをされたとたん、ジェンダー問題が身近なものになったりするのもおんなじ。

 経験して、<ひだ>を増やして、本を読んで、<ひだ>に引っかかって、それを頭で反芻してそしゃくする。これが学ぶという行為だと思う。