女は女である

雑記帳

グローバリゼーションのもとに輝くインド/"City Dwellers: Contemporary Art from India" (Seattle Art Museum)

グローバル化の流れがあらゆる国の文化にも多大な影響をおよぼしているのは周知のこと。

豊潤な文化をもつインドもその例外ではなく、グローバル化がつれてきた資本主義システムと消費社会はその文化に大きな変容をもたらしている。

 

わたしたちがインド文化と聞いて思い浮かべるような、サリー、ヒンドゥー教の神々の像、カレーやナンみたいにステレオティピカルなものたちだって、グローバル化の影響を受けて違うかたちを見せるようになってきているのだ。シアトル美術館(Seattle Art Museum) の3階で行われている"City Dwellers: Contemporary Art from India" は、現代インド社会への新たな視点をわたしたちに与えてくれる。

 

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ダウンタウンにあるワシントン州の中心的な存在シアトル美術館

 

長い廊下の壁に沿って、Dhruv Malhotraの写真の連作、"Sleepers"がかけられている。地面で寝ている人もいれば、自転車タクシーで、がれきの中で寝ている人だっている。寝ている場所、そしてその色彩があまりにふつうでないので、フィクションであるように感じてしまうけれど、これは実際にMalhotraが外で眠るさまざまな姿を彼のカメラにおさめたものなのである。

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SleepersDhruv Malhotra

いくつかの眠りにふける姿たちの中で特にわたしの関心をひいたのは、ベンチで丸まって眠る男の写真。不自然なくらいに鮮やかな緑の芝生、不気味なくらい赤い空と荒廃した建物の姿は、まるで悪夢の中にでてくるシーンのようだ。彼は洋服以外になにもまとっていない。彼の眠りを邪魔してしまいそうに色鮮やかな世界の中で、男はまるで敵対する世界から自分を守るように、小さく、かたく丸まってベンチの上で眠っている。この構図は昔みた、現実から(酒の力を借りて)逃げるように身体を丸める女性を描いたピカソの"Abinsthe Drinker"を連想させる。

 

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Abinsthe Drinker/パブロ・ピカソ

眠る男は暗闇にとけ込み、目覚めることを拒否するように、きびしい現実から逃げるように、こんこんと眠りに耽っている。 写真は絵画よりも現実を捉えるのに適している、とよく考えられているものだけれど、もちろん現実を正確に捉えることはできない。光や色はレンズや印刷によって変わるし、構図はアーティストの感性に強く影響されるからだ。つまり、アートとしての写真は、アーティストの意図を反映しつつ、かつ「より現実的である」という説得力も有している。アートとしての写真こそが、現実のゆがみを指摘するのに最も適している手法であるのかもしれない。

インド経済は急速な速さで成長をしているけれど、その一方で、格差も拡大している。少数の裕福な人びとがその経済成長の恩恵を独占し、その他の大勢は貧困のもとに生きることを強いられている。Malhotraの非現実的な、しかし息をのむほどうつくしい写真の連作は、インド社会が直面する問題をうつくしく、そしてシニカルに捉えている。

 

"Sleepers"が飾られた廊下を抜けると、この展覧会で一番大きな部屋がある。まずはじめに目に飛び込んでくるのは真っ赤に輝く、等身大サイズのモハメド・ガンディー像。精密に再現されたガンディーは、トレードマークである杖をひきながら、真っ白なiPodで音楽を聞きながら歩いている。

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India Shining / Debanjan Roy

鮮烈な赤は、不快感さえ催させる。私たちが歴史の教科書で見たままの<慈悲深い>はずの笑顔も、その強烈な赤色によって、攻撃的な、嘲笑しているかのようなな表情に見えてしまう。真っ赤に塗られたガンディーは、CMにでてくるようなポップアイコンに変化している。そしてアルミニウムでできている、ガンディー像の材質感はいやにキッチュで、まるで大量生産品のおもちゃのようなチープさを醸し出している。

この色と材質のセレクトこそが、この作品にこめられた風刺のメッセージを成立させているのだろう。イギリスからの独立のシンボルである「建国の父」ガンディーが、消費文化・グローバリゼーションのシンボルともいえるiPodに夢中になっている様子は、イギリスの次の支配者である消費文化と・グローバリゼーションを喜んで受け入れるインド社会への鋭い風刺なのだ。

この像のタイトル"India Shining"は2004年の選挙のためにBJPが掲げたメッセージ。インドの経済成長と明るい未来を讃えるこのスローガンを、このガンディーにつけるなんて、なんともアイロニーに満ちている。

 

大きな部屋の隅には、Native Women of South India: Manners and Customs (Pushpamala N and Clare ARni)が架かっている。

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Native Women of South India: Manners and Customs /Pushpamala N and Clare ARni

どこの文化のものかは特定できないけれど、典型的にエキゾチックなデザインの伝統衣装に身を包んだ女性が、ギンガムチェック柄の壁紙の前に立っている写真。おそらく民俗学の研究が行われているのだろう。女性はまるでプレパラートに固定された植物のような、もしくはピンでとめられた蝶のように器具にその腕を置き、観察をされている。彼女は反抗的な目でカメラ=観察者をまっすぐ見据えている。その写真を鑑賞している、観察者の立場であるわたしたちは、まるで自分が非難されているかのような感覚を覚えるだろう。これはかの有名なマネのオリンピアと同じ構図。

 

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Olympia / エデュアール・マネ

こちらに向けられたまなざしは、観察者をそのコンフォートゾーン、第三者的立場から無理矢理ひっぱりだし、<見る者>から<見られる者>に対する優位性・支配性を剥奪し、確実に存在する関係性をあらわにする。

この女性は実際にこの写真作品を制作したアーティストで、写真の中でおこるすべてはパフォーマンスなのだ。<ネイティブ>の女性は、性差別・人種差別、そしてステレオタイプに抑圧されてきた。<ネイティブ>としては支配的なグループへの従属を強いられ、西洋人からの好奇の目にさらされてきたし、<女性>としては男性への従属を強いられ、彼らの欲望のまなざしに支配されてきた。

彼女のパフォーマンスは、現代に存在する支配関係をあらわにする。そして彼女のまっすぐなまなざしは、そのステータス・クオーに小さな切り込みを入れるものなのだろう。

この作品はモノクロ。色がないというコンディションは、その作品の時代性を消し去る。50年前にとられた写真かもしれないし、今年とられた写真かもしれない。モノクロであることは作品に永遠性をあたえ、わたしたちが今の時代と無関係だと捨て去ってしまうことを防ぐ効果があるかもしれないなあなんておもったり。

 

シアトルにはこの展覧会が開催されていたSeattle Art Museum (SAM)と、そのほかにSeattle Asian Art Museum (SAAM)がある。この展示がSAAMでなくSAMで開催されたということにはとくべつな理由があるにちがいない。それはきっとこの展覧会がインド社会を超えたなにかをあらわしているからだ。消費文化とグローバリゼーションと密接に関係した現代化の、恩恵と弊害をあらわした作品たちは、いまわたしたちがいる現代社会についてもういちど考えることを促している。まあきっとこの消費文化とグローバリゼーションというものは、局地的な、たとえばアジアだけでおこっていることではないので、こっちのSAMでひらかれたのかもしれないね。