女は女である

雑記帳

人種は交換可能?/“Your Face in Mine” (Jess Row)を読む (1)

ジェス•ロウが書いた、“Your Face in Mine”という本がある。

2014年夏に発売されたこの本は、そのセンセーショナルさからアメリカ国内ではかなり話題になったよう。人種問題への関心が高くはないからかどうかはわからないけれど、日本ではまだ有名じゃないみたい。和訳は出版されていないし、日本語でネット検索をしてもなかなか情報を得ることもできなかったもの。

 

これは秋学期の授業で扱った本。

アメリカで覇権を握りつつあるポスト人種主義への風刺が込められた作品。

とても内容が面白かったのでここに書こうと思う。

ストーリー

In the weak light of a February afternoon, Kelly Thorndike has a strange chance encounter in a Baltimore parking lot with Martin Lipkin, an old friend from high school. But time has brought a big change. The Martin that Kelly knew was white. The man standing before him is black.

Their meeting sets the stage for “Your Face in Mine,”Jess Row’s debut novel, which is to be published on Thursday by Riverhead Books, joining a long tradition of fiction about racial guises. Mr. Row’s tale is set in a near future in which Martin is the first person to undergo “racial reassignment surgery” to change his features, skin color, hair texture and even his voice. His surgical package includes a new biography and even a dialect coach — all a corrective for Martin’s “racial dysphoria.”

(Jess Row’s ‘Your Face in Mine’ Explores ‘Racial Reassignment’/ New York Times)

 

中国人の妻と娘を亡くし、失意の中毎日をすごしていたケリーが、故郷であるバルティモアに帰ったところから小説ははじまる。

ふるさとの街を歩いていると、道路の向こう側からこちらへ歩いてくる見知らぬ黒人の顔に、強烈なデジャヴを覚える。それもそのはず、その黒人の男性は、かつて白人だったはずの高校時代の同級生、マーティンが変身した姿だったのだ。

戸惑いを隠せないケリーに、マーティンは自身が「”人種”同一性障害」に陥っていたこと、そして「”人種”適合手術」を受けたことを告白する。「黒人になった」マーティンは、黒人起業家の地位を向上させるためのプロジェクトの一環として彼自身の半生を出版する計画を明かし、ケリーにその代筆の仕事をもちかける、というのがおおすじ。

 

ケリーはハーバード大学で中国思想を専攻し、英語を教えていた中国人女性ワンディと結婚をし、ときおり漢詩を引用するような、根っからの「中国かぶれ」な男性である。人一倍の思慮深さと、ナイーブさをもつ彼は、死別した妻ワンディにも「あなたはアメリカ人らしくない」と言われ、ワンディの中国の実家で過ごした日々を頻繁に思い出し、彼の人生の中で一番の幸せな時期だったと振り返る。この彼の中国文化への執着、そして中国文化への親近感に関する描写は、後の展開の布石となっているわけだけれど。妻と娘との、交通事故による死別、そして失業を経験した彼は、無気力に毎日をやりすごしている。

 

マーティンは根っからの「起業家精神」の持ち主として描写されている。ビジネストークにこの上なく長けている彼は、どんな人にもフレンドリーに接し、そしていつのまにか自分の計画に巻き込んでいるような男だ。自信に満ちあふれ、ブランドもののスーツを着こなし、街を堂々と歩く黒人のマーティン。ケリーは彼の記憶の中にある、消えてしまいそうな、生気のない、細い体つきの白人青年だったマーティンと現在のマーティンを一致させることができない。

 

ストーリーの前半は、ケリーがマーティンの半生を取材する中で、知らなかったマーティンの過去、そして彼が「人種適合手術」を受けるまでの経緯をときあかしていくという構成。

後半には、マーティンの本当の意図、すなわち「人種適合手術」を世界中の顧客に提供するサービスをビジネスにする計画、そしてそのケリーをそのビジネス拡大のためのモニターにする(白人からアジア人になる整形手術をする)ことこそがケリーに近づいた理由であることが明かされる。

 

 

ポスト人種主義について

 ポスト人種主義とは、過去の市民運動により人種平等は「完全に」成立し、人種の差を意識するようなすべての政策や議論を不必要かつ好ましくないとする考えの系統をいう。近年のアメリカ社会はこのポスト人種主義の傾向を見せているとする政治学者もおおい。

しかしながら、人種的マイノリティは、政治/経済/社会制度が合わさって生み出す構造的な人種差別によって雇用機会、財産、生活のクオリティ、法の施行など多くのめんでライフチャンスを剥奪されているのが現実である。

ポスト人種主義は色盲主義(Color-blindness)、white-normativity(白人を規範とする考え方)の論理を使い、構造的な人種差別を覆い隠し、そして現状の力関係を維持をする。

この “Your Face in Mine”は、ポスト人種主義が包含するいくつかの要素を描いている。優位にたつ白人の人種不平等がはびこる現実への態度、色盲主義、そしてポスト人種主義とネオリベラリズムの共犯関係等々。

 

色盲主義について

色盲主義は、人種の違いを肌の色の違い「でしかない」と認識するものである。ある人種がもつ抑圧の歴史やステレオタイプによる被害などはすべて無視してしまう。これはつまり白人と非白人は政治的/経済的/社会的に対等な立場にあり、ヒエラルキーがいっさい存在しないととらえる。だからこそ色盲主義は、人種不平等を改善するためのアファーマティブアクションを含めた、人種によって違いがあるという考えのすべてを否定する。

色盲主義は、現在存在する人種の不平等を、すべて個人の問題であるとする「自己責任論」、抽象的自由主義、人種差別の極小化、そして文化的人種主義を用い、有色人種の社会的地位を、彼ら自身の問題であるとすることで、社会の構造的な問題を覆い隠してしまうのだ。抽象的自由主義は人種に関係する問題を自由主義の教義を用いて解釈することで、すべての人間に対して「平等な機会提供」を訴え、人種不平等是正を意識した政策を否定する。人種差別の極小化は、人種の不平等の問題が、人種差別以外のすべての要因から生まれたものとする。そして、文化的人種主義は、人種差別ではなく、有色人種のもつ文化や習慣こそが人種の格差を生み出していると考えるのだ。

 

white-normativityについて

white-normativityは、日本では日本人至上主義と言い換えられるかもしれない。色盲主義の社会では、白人のアメリカ人が特権を持ち、人生の様々な局面で優位にたつことができる。white-normativityは、「白人らしさ」が規範であり理想の姿であると定義することで、黒人の人々に黒人らしさを捨て、白人の規範を抱くことで「白人」に近づくことを推奨する。white-normativityも、現実に存在する格差と、それを生み出す社会の構造的問題を覆い隠すのに一役買っている。

 

メディアについて

メディアはポスト人種主義的社会を分析するためにも有用なツールだ。ロペスは「多人種的な個人」そして「人種の超越」というふたつの要素を取り出し、分析を行っている。ポスト人種主義は白人⇆黒人、アジア系⇆白人など、人種を切り替えることができる「多人種的な個人」(いわゆるハーフやクオーターなど、さまざまな人種の要素を持っている人のことをいう)を讃える。彼らは白人と非白人の仲介者であり、そして人種平等が達成されたというファンタジーを表す存在である。オバマはその「多人種的な個人」の一人である。そのような個人は、有色人種としてはその有色人種向けのニッチな市場にアクセスすることができるし(黒人らしさを主張したビヨンセ)、多人種としてはすべての市場にアクセスすることができる(セクシーでうつくしいビヨンセはアメリカ全体で大人気である)。

 

 

 

 

そしてメディアは「人種の超越体験」を幾度となく描いている。America's New Top Modelという人気ワイドショー番組はその代表。

このショーでは、メイクや衣装によってヨーロッパ系アメリカ人女性が中国人の女性になったり、アフリカ系の女性が北欧の女性に変身したりする。この人種パフォーマンスは、ファッションやコスメ商品を使いさえすれば、人種を「交換可能」なものであるととらえているのだ。そしてその変身の過程には「ステレオタイプ」が欠かせない。人種の超越には、その変身する人種の記号的な象徴を配置することが不可欠だからだ。たとえば日本人の女性になるときは、真っ赤な民族衣装を着て、目をつり上げる。アフリカ系の女性になるときは、肌を黒く塗り、「アフリカっぽい」民族衣装を着て、アフロのかつらをかぶり、子どもと一緒にうつる、みたいに。

 

時間ができたら小説がどうポスト人種主義の理論を批判しているかということについて書きます。(書き終えたのに消えてしまったので泣きたいです。)