女は女である

雑記帳

鈍感さという暴力、鈍感さという救い

藤野可織さんの「爪と目」、鹿島田真希さんの「冥土めぐり」を読んだ。

両方とも芥川賞を受賞したという共通点はあるものの、この2冊は違う作者によって書かれた全く違う話。でも、鈍感さが周囲に与える影響を描いているという点では同じといえる。

爪と目

爪と目

 

「あなた」は目が悪かったので父とは眼科で出会った。やがて「わたし」とも出会う。その前からずっと、「わたし」は「あなた」のすべてを見ている――。三歳の娘と義母。父。喪われた実母――家族には少し足りない集団に横たわる嫌悪と快感を、巧緻を極めた「語り」の技法で浮かび上がらせた、美しき恐怖作(ホラー)。(新潮社)

 

冥土めぐり

冥土めぐり

 
  • 裕福だった過去に執着する母と弟。家族から逃れたはずの奈津子だが、突然、夫が不治の病にかかる。だがそれは、奇跡のような幸運だった。夫とめぐる失われた過去への旅を描く著者最高傑作。

  • (河出書房)

3歳児がその継母を語る、一貫した二人称で書かれた「爪と目」は、ぞっとするようなお話。語り手である少女は、怒りも悲しみもなく、恐ろしいほど冷静に、淡々と継母の毎日を描く。継母の一挙一動をこの上なく鋭く、そして偏執的なまでにこと細かに描写しているので、感情が徹底的に排されたこの文体からも、彼女自身が形容しがたいとてつもない憎悪を継母に抱いているということが自然と伝わってくる。

登場人物は、語り手である3歳児、その父親、そして父親が再婚した継母。継母は人を積極的に傷つける種類の人間ではない。無意識のうちに、人を傷つけているような人間だ。語り手からみれば、彼女はどこまでも鈍感である。なんとなく、という理由で結婚をし、インテリアにはまり、ものを食べ、排泄し、くらしている。語り手は無意識のうちに人のこころを踏みにじる鈍感さに強い怒りを覚え、彼女に「制裁」を下すのだ。

冥土めぐりに登場する奈津子の夫も、どこまでも鈍感な人間である。ただ、その鈍感さは、「爪と目」の継母とは違い、奈津子の救いとなっている。奈津子の母と弟はひとから平気で搾取できるような人間。金銭欲と消費欲に支配され、自分は一流の人間だと思って疑わない奈津子の母。同じく自分は特別な人間だと考えハーバード大学に進学さえすれば自分の本来の価値が行かせると夢想してやまない弟。奈津子はふたりの世界に強烈なまでの嫌悪感を抱きながらも、反抗する気力も失い、縛られたままいままでいきてきたのである。

若くして脳症を発病し、「アダルトビデオを持つことで自分が男だと思っているような」奈津子の夫太一は、彼らの悪意には全く気がつかない。彼は思考しない。彼は感じない。人間関係など感知しないのだ。だから彼の目には悪意など映らない。本来の無垢さとその障害で、社会や人間関係との完璧なまでの隔絶を獲得した太一は、奈津子の母と弟の呪縛からするすると逃れることができる。聖愚とさえいえる太一とついていくことで、奈津子はついに二人の呪縛からのがれることができるのある。

 

爪と目の継母と太一とは、周囲に対してあまりにも鈍感であるという点で共通しているでも、継母の鈍感さは暴力であり、太一の鈍感さは不条理な世界を突破する救いである。

この継母と太一の違いを決定づけるものはなんなんだろうと考えながら期末試験の勉強をしています。