女は女である

雑記帳

東京

生きていくということは、昔思っていたよりもむつかしくないような気がする。でも、やさしく、きれいなものを大切にしながら生きてくのは本当にむつかしいと思う。

東京はなんでもある。

ものがありすぎる。豆乳をのみたいとコンビニによれば、3種類くらいの類似の商品がならんでいてえらぶのも一苦労だ。チョコレートを買おうとしたって、ビスケットや板チョコ、焼きチョコ、生チョコ、これでもかという種類のチョコレートがさまざまなメーカーから売られている。

そして、人が多すぎる。アジア人にもこんなにバリエーションがあるのかとおどろくばかりだ。街を歩けば、聞きたくなくても耳に入ってくる会話、目はちかちかと点滅するネオンの文字が飛び込んでくる。すると、世界が私の周りにたちあがって、わたしを急き立てる。

電車の広告は、体中の毛をそりなさい、からだを無臭にしなさい、英語を勉強しなさい、婚活しなさい、とあらゆる手立てを用いてわたしをせきたてる。あれを買わなければ、これをしなければ、あそこへ行かなければ。広告にうつる、完璧な笑顔を浮かべた皺ひとつない妙齢の女性が、仕事も家事もこなし、お金があって、しかも余裕のある生活なんていうものを声高にうたう。そんなイメージにこころがまどわされ、でも、目を閉じることも耳をふさぐこともできるわけもなく、わたしはひたすらこころをそんなものたちに慣らすしかない。わたしのこころのなかの、かすかな声だってきこえるわけがない。路頭に迷うような情報の氾濫のせいで、すべてはかきけされてしまい、自分の心の声なんて存在するのかさえもわからなくなってしまいそうだ。

 

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