女は女である

雑記帳

テロの恐怖とは、「大気を支配すること」である(2016年に書いた文書の記録)

ドイツの哲学者であるペーター・スローターダイクが著した「空震 テロの源泉にて」は、Luftbeben、英語にするとAirquakeというタイトルで2002年に出版された。2001年のニューヨークにおける同時多発テロを受けての考察が本書の中軸となっている。今年の11月13日に勃発したパリでの同時多発テロによって再び明らかになった国際社会を支配するテロの恐怖について、発表から14年たった今も依然としてこの書は深い洞察を与えてくれる。

本書でスローターダイクは、戦闘の技術が発展した20世紀には戦闘方法に大きな転換があったと論じる。それは敵対関係にある者同士の戦いに「環境」の概念が導入され、攻撃が「敵の身体」ではなく、その生存に不可欠な日常の「環境」を標的とするようになったということである。彼はこの戦闘方法の転換を、1915年の毒ガス兵器の使用、そしてこの兵器の処刑・民族浄化への応用、生物・化学兵器の発明、人間存在の気候学的解明への、そして現代の消費社会における「エア・コンディション」の技術として用いされるまでの歴史を辿りながら説明している。

本書はまず1915年第一次世界大戦中のドイツ軍による毒ガス使用のケースにさかのぼる。毒ガスは、「呼吸」という人の生存に絶対に不可欠な行為を逆用し、生命条件である「大気」をその個人の生命の破壊に用いる「兵器」と転換させる。のちにこの毒ガス技術は、「害虫駆除」というレトリックのもとに行われたユダヤ人虐殺などの民族浄化や、犯罪者による死刑執行にも用いられることとなる。毒ガスは、「呼吸」という人の生存に絶対に不可欠な行為を逆用し、これをその個人の生命の破壊に用いる。この攻撃方法の転換は、私たちを脅かすテロリズムの起源となったとスローターダイクは論じる。つまり、人を直接的に覆う、生存に不可欠な「大気」を支配し命を脅かす兵器に転換することが、今日のテロの本質であるというのである。

さらに気候学的解明が進み、テクノロジーが発展するにつれ、原子爆弾空爆などの大量破壊兵器が登場した。これらの技術の発見は、世界中のあらゆる環境が、「ガス・燃焼室」となり人の生命を奪う兵器になりえるだけでなく、放射線兵器・生物兵器の登場によって認知不可能な放射線や化学物質も私たちの生命を脅かす「潜在性」を持つ可能性を生み出した。つまり、私たちを取り巻く環境が「不可視の攻撃者」となり、現代において私たちは恒常的な恐怖を抱きながら生活をせざるを得ない状況に転換したとスローターダイクは結論付ける。

彼が同書で提示したテロの本質は、先日起きたパリの同時多発テロに対する人々の反応もよく説明している。先日、パリに住むフランス人の友人・カロリーヌと電話をした際に彼女が口にしたある一言がある。「シャルリ・エブドの襲撃の後は、パリの人々は怒っていて、あちらこちらでデモや集会が開かれていたの。でも今回のテロの後は、いつテロが起こってもおかしくない、という恐怖から起きるデモの数もぐんと減ったの。みんな家にいる。だってこれが一番安全だから。」実際に、パリ警視庁もテロの危険性を考慮し、非常事態宣言を反映してデモ行動を全面的に禁止している。民間だけでなく、公的機関もテロを懸念し人々の自由を制限しているのだ。この意味で、ISISはヨーロッパの人々の「大気」「雰囲気」を恐怖で支配することに成功しているといえるのかもしれない。しかも、この恐怖はネットを伝わり遠く離れた私たちの国にも伝わってきているのだ。

2002年に書かれたという時代性のためではあるが、スローターダイクはインターネットというツールを考慮していない。インターネットテクノロジーは世界をテロリズムにとってさらに好ましい環境に変えたと私は考える。私がすぐパリの友人に安否の確認のための連絡ができたように、世界のどこかで起きた出来事は、すぐに世界中に広がる時代である。パリで起きたテロのニュースは、またたくまに世界中の人々に伝わり、それと同時になまなましい恐怖をも伝える。

また、インターネットは恐怖の「源」を増やし、テロリズムによる「大気」の支配をより徹底させる効果を有しているようにも思える。ISISはネットを駆使し、人々を魅了しテロリストとなることを訴えかける。単純にテロリストが増えるという恐怖が増えるだけではなく、隣人もテロリストに代わりうるという恐怖も増える。実際に今月2日、ISISに共鳴したカリフォニア州在住の夫婦が福祉施設で14人を射殺するというテロ事件も起きた。彼らは善良なムスリム教徒だと近所の人からも評判だったゆえに、他民族を受け入れてきたアメリカ社会への衝撃も大きかった。ネットで得た情報に感化された隣人がいつでもテロリストに代わりうるという恐怖は、スローターダイクが提示した、「大気」を支配し命を脅かす兵器に転換するというテロリズムの恐怖をさらに助長しているといえるだろう。

スローターダイクは、本書でこのテロの恐怖に対抗するための策を提示していない。最終章「展望」で彼が提示した未来の予測は、人々は恐怖に対してパニックに陥り烏合の衆と化するであろうという悲観的な観方だけであった。すべてが潜在的に危険である時代においては、人々は環境へ強い不信感を抱き、従来信じられていた合理性さえも疑わしいものになってしまうと彼は論じる。そして「普遍的に平和な共存」が実現不可能に見える環境においては、人々はある閉鎖的な空間・団体の利益を保護することを至上原理とするようになる。恒常的に生命存在を脅かされる恐怖に興奮した人々は、「全体主義的」で「日和見的主義」な「トランス状態」に陥り、無知蒙昧的な集団と変貌を遂げるという彼は論じるのである。この彼の悲観的にも思える分析は、2001年同時多発テロの後、ブッシュ政権アフガニスタン侵攻に熱狂的な支持をしたアメリカ国民の心理状態の本質を突いたものであるといえるだろう。

テロリズムへの恐怖が私たちを取り巻く大気を支配し、普遍的・そして潜在的に恐怖が満ちているという論理の前に、私たち市民は圧倒的に無力に思える。この恐怖に立ち向かうために、私たちに何ができるのだろうか。私はパリのテロ事件で妻を失った夫がFacebookに投稿した文章に、この支配を打破するための示唆を見つけた。ここで彼の文章を引用したい。

You want me to be scared, to distrust my fellow citizens, and to sacrifice my liberty for security. I will play on.

(訳:あなたたちは私に恐れを抱いてほしいのだろう。隣人を疑い、安全のために自らの自由を犠牲にすることを。(でも)私は日常を続けるのだ。)

スローターダイクが論じたように、彼はテロが人々に恒常的な恐怖を抱かせることを目的としていることを理解したうえで、彼らの思い通りにはならないと宣言しているように思える。彼はこの文章を以下のようにしめくくる。

Now it’s just the two of us, my son and I, but we are stronger than all the armies of the world. In fact, I do not have any more time to waste on you, I need to go and get Melvil, who is waking up from his nap. He is only 17 months old, he will eat his afternoon tea as always and then we will go and play as always, and this little boy’s entire life will be an affront to you by being happy and free. For he will not hate you either.”

(訳:もういまは私と息子のたった二人の生活だ。でも私たちは世界中のどんな軍隊のよりも強いのだ。はっきり言わせてもらえば、私は君たちに割く時間などないのだ。私は昼寝から目覚めるメルヴィルを迎えに行かねばならない。まだ17か月の彼はいつも通り午後の紅茶を楽しみ、外に遊びに行かねばならない。この幼子の人生は、幸福で自由に生きることで君たちへの辱しめとなるだろう。なぜなら彼も君たちを憎しむことはないのだから。)

昼寝から目覚める息子・メルヴィルといつも通りアフターヌーンティーを飲み、いつも通り遊びに行く、いつも通りの日常生活を続けるのだ、と彼の文章をしめくくるのだ。自己の生活を取り巻く雰囲気にテロの恐怖を滑り込ませないこと、そしてその圧倒的な恐怖や憎しみに自らの人間性を支える理性を奪われぬようにすること、これこそが、武器を持たない私たちが対抗しうる唯一の手段なのではないだろうか。

 

Bilefsky, Dan, Caffarel , SladeYannick. “Paris Attacks: The Violence, Its Victims and How the Investigation Unfolded.” The New York Times. 2015年12月2日. http://www.nytimes.com/live/paris-attacks-live-updates/victims-husband-tells-terrorists-i-will-not-give-you-the-gift-of-hate/.

スローターダイク, ペーター. 空震―テロの源泉にて. 翻訳者: 昌樹, 仲正. 御茶の水書房, 2003年.

ルソーの国際政治観

 ルソーは、『学問芸術論』『政治経済論』『人間不平等起源論』『社会契約論』のいずれにおいても、国際関係については踏み込んだ議論を行っていない。ルソー自身も、『社会契約論』の結語では「国家をその対外的な関係によって強固にするという課題がまだ残っている」(411)と自らの議論における国際政治への言及の不足を認めており、またこれら「国際法、交易・戦争権と征服権、国際公法、つまり同盟・交渉・条約など」(同)は、彼が扱うには「あまりに広大な新しい対象」(同)であると語っている。しかし、彼の国際政治観をうかがわせる記述は、数は少ないもののこれらの文献でも散見される。今回は、これらの関連記述から、ルソーの国際政治観を明らかにしていくことを目指す。具体的には、彼の国際関係観の思想的区分における位置、彼の国際秩序の構想、そして彼が理想とする国家間関係・外交の在り方について分析を行っていく。

 まず、ルソーの国際関係観は、国際秩序の構想の思想的区分においてどう位置づけられるのだろうか。この点について、藤原氏の議論を参考に考えていきたい。藤原帰一氏によると、これまで国際秩序の構想については二つの柱を中心に議論が展開されてきたという。第一の柱は「制度化の可否」である。つまり、国際関係において各国が「互いに共通の利益や理念を見出し、協力することは可能なのか」という問いである。これが可能であるとき、条約を締結し、国際機構を形成し、権力の制度化を達成できる。この制度化の可否に対する見方によって、「制度・協調」と「無秩序・対立」という双極の立場が生まれる。第二の柱は、国際関係における主体をどうみなすかという点である。現在の国際社会においては、各国を拘束する絶対的権力が存在しない。ここでは、国家を主体とみなし国家が構成する「国家の社会」に着目する見方、そして国内の個人や社会を主体とみなし、「市民の社会」としての国際関係に注目する見方とが生まれると藤原氏は論じる。国際政治は「国家を主体とする体系である」とする考えは、リアリズムと呼ばれる思想的潮流の重要な特徴である。

 

 最初に、第一の柱、つまりルソーが国際関係における制度化の可否についてどのような考えを有していたのかについて検討していきたい。『人間不平等起源論』の論調からは、ルソーが国家間にある法は「自然法」のみであるとみなしていることが推察される。ルソーは社会の数が増加し、市民法がさまざまな場所で広く成立した結果、自然法は「国際法という名のもとに」(111)、社会間でしか実施されなくなったという。しかしこの自然法も「取引を可能」(同)にするため「暗黙の約束によって緩和」され、結果、個人間では存在した「ほとんどすべての力」を、社会と社会との間においては失ってしまったという。そして、その力は「幾人かの偉大な人道主義者の魂の中にしか存在しなくなった」(同)と皮肉めいた言葉で締めくくっている。ここで、自然法である国際法は、国家間においてその効果を発揮していないことを示唆している。

 またルソーは『人間不平等起源論』の序文「ジュネーヴ共和国にささげる」において、「国家の外の人間」が法を国家に無理に押し付けて認めさせること」(5)を許されえないとみなしている。これは理想の国家において「国家の機関がすべて共通幸福の実現」(同)に向かうためには、主権者と人民の利害の一致、つまり「人民と主権者とが同じ人間でなければ行われえない」(6)と考えているからである。この考えに基づくと、国家間で制度や法律が生まれるためには、統治する側と統治される側とが完全に一致する必要がある。つまり、成員が国家から成る社会、国際社会の存在が必要となる。

 しかし、ルソーは国際社会、そしてそこにおける統治の成立可能性に対して懐疑的であるといえる。なぜなら、ルソーは部分社会の存在について否定的であり、また大規模な社会の成立を不可能であると考えているからである。これは、ルソーの描く「一般意志」の成立のためには「国家の中に部分的社会がなく、各市民が自己の意志だけに従って意見を述べること」(242)が肝要であるとみなされているためである。「社会の絆がゆるみ、国家が弱まりはじめ」、「特殊利益が感じられ、多くの小集団が大集団(国家)に影響力を持ちだす」とき、共同利益はそこなわれ」(352)る。ここで、国にとっての一般意志とは国際社会における特殊意志になりうるため、ルソーの描く国家像と国際社会での統治とは共存しえない。

 では、国際社会でたった一つの社会を形成し、一般意志を確立することは可能だろうか。ルソーはこれについても否と答えるだろう。ルソーは理想的な社会の統治のためには適正な規模が必要であると考えており、大規模な国際社会での一般意志の成立、つまり世界市民からなる社会を実現不可能なものとしてみなしているようであるからである。『人間不平等起源論』においては、人間性の感情(人間愛)は広がるほど薄まるものであるため、これを同胞市民のあいだに「限定・圧縮する」(72)必要があると述べている。

 同様に、『社会契約論』においても「国家の領有しうる面積には一定の限界」(266)があると論じ、首長や無縁の同胞市民に対する愛情を感じなくなることから、「社会的紐帯」(266)がゆるむことをこの理由として挙げている。また、「同一の法を異なる習俗・風土に適用できず、紛争や混乱が起きること」(267)、「政府の権威の維持」に必要な政務の肥大化が、国家の弱体化につながることも指摘している(268)。同様に、『政治経済論』においてルソーは特殊意志と一般意志の一致という徳を広めるためには祖国愛が必要であることを強調し、これを促進する公教育の必要性も述べている。以上から、ルソーは国家という主体からなる国際社会の形成は困難なものとみなしているとことが推察される。

 つぎに、第二の柱、つまりルソーが国際関係の主体をどこに求めているかという点について検討していきたい。ルソーは、国際秩序における主体を国家とみなしているように思える。『社会契約論』において、国家間の戦争は「個人と個人との関係」ではなく「国家と国家との関係」(217)であるという。これは、性質の異なるものごとのあいだに、「いかなる真の関係も確定できない」とすれば、各国は人間を敵とすることができないのであり、また「人間が原始的な独立状態で生活しているとき、相互間に平和状態や戦争状態を作り出すほど恒常的な関係を持たない」(216)からであると述べている。ゆえに、戦争を起こすものは「ものごとの関係」、つまり「国と国の関係である」であると論じている。

 ここで、これまでの論点を総括したい。まず「制度化の可否」を論じる第一の柱について、つまり、国際関係において国家主体が共通の利益や理念をもとで協力する可能性について、ルソーは否定的である。そして、第二の柱については、ルソーは国家をその唯一の主体としてみなしている。以上から、国際関係についてルソーは、国内統治についての議論でしばしば批判の対象として引用していたホッブズと類似したリアリストであるといえるだろう。ルソーは、しばしば、人間の本性について生存本能しか指摘せず、あわれみの情を抱くという人間本質を考慮に入れていないとしてホッブズを批判している。ここでは、人と人ではなく、ものとものの関係である国家間関係においては、このあわれみの情という特性が発揮されないことが、二者の考えの類似を生んでいると考えられる。

 では、ルソーはどのような国際秩序像を描いているのだろうか。中西寛氏によると、「国際政治」とは「主権国家体制」「国際共同体」「世界市民主義」の三つの位相が混じったものであるという。「主権国家体制」とは国際政治の基本単位を国家のみとし、その主権は不可分・不譲、これらの主権は互いに対等であるなどという要素によって構成される思想体系である。「国際共同体」とは、国際政治の基本的単位として国家以外にも国際機構や社会集団、個人も認め、主権は部分的に分割・委譲可能であり、また諸主体はある価値や目的を共有できるいう考えを骨子とする構想である。最後に、「世界市民主義」とは国際社会における基本的単位は個人であり、個人は最終的には国家ではなく世界に帰属し、世界統一によって平和がもたらされるという考えを指す。

 部分社会からなる社会を否定し、統治の対象となる規模に限界をみるルソーの考えは、「国際共同体」「世界市民主義」いずれの成立可能性をも否定するものであるといえるだろう。ルソーの描く国際秩序は、当時の支配的な考え方であった「主権国家体制」をベースにしており、その域を出るものではないといえる。

 では、ルソーにとっての理想の外交とはどのようなものであるといえるだろうか。ルソーは理想の国家を、他国に依存せず、独立した存在とみていることが伺える。『社会契約論』においては、立法にふさわしい人民として「突然侵入を受けても圧倒されるおそれがなく、まだ隣国の紛争に巻き込まれず、そのいずれにも独力で抵抗でき」(272)「一方と相互に助け合って他方を撃退できる人民」(272)「他の人民がなくてもすみ、他の人民もそれがなくてすむもの」(272)と述べている。

 ルソーは貿易についても、他国への依存を高める可能性や全国民に利益を与えないとの理由から消極的である。同章の脚注では、「賢明な国民ならばすべて他方をこの依存状態からすみやかに解放することに努めるだろう」(273)と述べており、またメキシコ帝国内にあったトラスカラ共和国がメキシコから塩を購入することをやめ「自由を維持」したことを賞賛すべき例として挙げている。また、「外国貿易のある部門は、王国一般にとって、見かけだけの利益を与えるのみである。それは幾何とかの個人を、いくつかの都市さえ富裕にするが、全国民は何らの利益も得ることなく、人民はそれによって改善されるところはない」(276)と外国との交易についてもネガティブな見方を示している。

 また、ルソーは征服や帝国主義も批判をしている。『政治経済論』においては、征服欲は支出の増大を招く危険の原因の一つであるとみなしており、その真の動機は「国家を強大にするという外見上の願望」(90)よりも、むしろ軍隊の増強の助けを借り、戦争が市民の心につくり出す気晴らしを利用して、首長の権威を国内において増大させる」(90)と指摘している。これらの記述から、ルソーは理想の外交とは他国と最小限の関係をもつにとどめ、独立した、他国へも他国からも不干渉な国家を保つことであると考えていたことが推察される。

 結論として、ルソーは国際関係について極めてリアリスト的な見方を有していたといえるだろう。藤原氏は「国家の正統性についての思想の変容」や「王権神授説から社会契約論への転換」は国際政治の担い手を「国家から社会に引き下ろした」と論じている。ルソーは当時の趨勢的な考え方であった、主権国家体制を基本とするリアリズム的国際政治観の域を出なかった。しかし、興味深いことに彼がもたらした人民主権の考えは国際社会の構想におおきな変化をもたらし、リベラリズム、「国際共同体」や「世界市民主義」の考え方を生むきっかけとなり、彼の考えとは異なる国際関係の思想とその台頭につながったのである。

 

引用

中西寛著(2003)『国際政治とは何か』中央公論新社

藤原帰一(2007)『国際政治 (放送大学大学院教材)』放送大学教育振興会

ルソー, ジャン=ジャック. 小林善彦, 井上幸治訳(2005)『人間不平等起源論・社会契約論』中央公論新社

ルソー, ジャン=ジャック. 『学問芸術論』

ルソー, ジャン=ジャック. 『政治経済論』

アルバイトの終わり

明日でバイトが終わる。1年生の2月からお世話になり、1年の留学の後もお世話になったバイト先。合計で、2年ちょっとはたらいていたことになるはずだ。最初は整然とした建物のようすと、静かな社員さんたちになかなか落ち着かなかったけど、今では映画館の席くらいに自分にとって落ち着く場所になっていたことに気がつく。

とりあえず、一日中そこに座って、パソコンをつうじていろんな世界をのぞきみるのがとても楽しかった。そうでもないと知らないようないろんな技術や会社を知ることができたし、現代においては情報というものがとても高い価値を持つものなのだということを実感することもできた。

社員さんたちはかしこく、それでいて品がよく、知的好奇心が強い人たちばかりで、仕事を楽しんでいるように見えた。私もあんな社会人になりたいと思ったものだった。

事務業務をしているスタッフさんたちは、とても賢くて、しかもとても人間的に暖かい人たちだった。力関係というものは役職だけにとらわれるものでは決してなく、その人のふるまいや態度にも大きく影響されるものなのかもしれないと学んだ。わたしもあんな女性になりたいと思った。

もうすこし働いていたいけれど、春休みはいつもとちがうことにチャレンジするきっかけを作りたいと思ったので早めにやめてしまうことにしたのだ。でも、すこしだけ後悔の気持ちがあるくらいにさみしさもあるのが本音である。わたしにとってはレベルの高すぎる組織だったけど、2年間も働く機会をいただけて光栄でした。

7,8月読んだ本

 

 

スティル・ライフ (中公文庫)

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光の子供 (新潮クレスト・ブックス)

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フロイトの弟子と旅する長椅子 (BOOK PLANET)

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畏れ慄いて

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私の恋人

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素粒子 (ちくま文庫)

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The End of Poverty: How We Can Make it Happen in Our Lifetime

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謎の独立国家ソマリランド

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鱗姫 (小学館文庫)

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マチネの終わりに

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真昼の星空 (中公文庫)

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人間の土地 (新潮文庫)

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冬の少年

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最底辺のポートフォリオ ――1日2ドルで暮らすということ

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  • 作者: ジョナサン・モーダック,スチュアート・ラザフォード,ダリル・コリンズ,オーランダ・ラトフェン,野上裕生,大川修二
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貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える

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民主主義がアフリカ経済を殺す

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ブルー・セーター――引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語

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国をつくるという仕事

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Creating a World Without Poverty: Social Business and the Future of Capitalism

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最近のこと

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(3月に行った万里の長城

 

就職先が決まるまではほんとうに「一分一秒を争って」、公務員試験の勉強をしていた反動からか、いまは伸びきったゴムのように力が出せないでいる。

というか、力を入れるのがむずかしいのだ。試験勉強のときは、時間があるときはとりあえず国際法のテキストを眺めているか、憲法判例を暗唱すればよいとわかっていた。でもいまは、学校の課題かなにかをはじめようとしてパソコンの前に立ち、文章を書き始めようとするたびに、指の筋肉がゆるみ、うでがだらっとさがり、あげくには床にだらっところがってしまいたくなる。南アから帰ってきて以来、編入を試したり公務員試験をしたり就職活動をしたりなどと自転車操業だったのが原因だよと自分を慰めつつ、カーペットでからだじゅうの力を抜いてころがるのがこの上なく気持ちがいいのだ。ころがりながら、本にある文章をぼんやりとながめるのがいまの気分にぴったりなのである。

それでもこんな生活をつづけてよいわけではなく、そろそろ自分の気分を変えなくてはならない。そうでなければわたしは「努力するのが好き」というパーソナリティから離れて行って、なにがなんだかよくわからない人間になってしまうにちがいない。

そう思って、フランス語の学校に通うことにした。週に一度、フランス好きのおしゃれで知的な女性たちに囲まれて授業を受け、フランス語の本と映画を借りることができるおしゃれな図書館に通っていると、ひさしぶりに「なになにをしなきゃ」という外的な動機付けでなく、こころのなかからうまれてくる「これをしたい」という気持ちでなにかできそうな気がする。

現在のアルバイト(週2フルタイムで一日シフトを増やしてしまえば自分がOLか学生かわからなくなる)に加えてもうひとつ、開発協力関係のNGOインターンをすることにした。まず自分を変えるためには環境を変えること、これがたいせつだとしんじているからである。

11月に読んだ本

 

 

あしたから出版社 (就職しないで生きるには21)

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アニバーサリー (新潮文庫)

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空震―テロの源泉にて

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猛スピードで母は (文春文庫)

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人道的介入―正義の武力行使はあるか (岩波新書)

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日本外交:現場からの証言

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春画展に行ってきた話

先週、大学から徒歩5分ほどの距離にある永青文庫、そこで開かれている今話題の春画展に行ってきたことのメモ。私と先輩、たった二人が受講しているフランス語の授業の一環として、マダムと三人で行きました。

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ポルノはいつの時代もリピートだということを実感。同じような構図(体位や男女の関係性)、同じようなモチーフ(女性と女性の絡み、タコの怪物など異形の者に襲われる女性、巨大でグロテスクな男性器など)。現代のアダルトビデオやポルノ画像、エロマンガなどでも描かれているような、そんな事柄がリピートして登場することに驚き。

その主題、つまりエロとは違う点についてだけれど、絵の平面的な構図、色使い、細い線などが、なんとまあ現代のマンガイラストと酷似していること。

絵ももちろん興味深いけれど、もっと気になってしまったのが観客層。(知的な雰囲気をかもしていているけれどただの好色家かもしれない)老人たちと、BLで騒いでいそうな、ぼそぼそとずっと会話し続ける女の子たちのグループと、モードなおしゃれからするに美意識が高そうなカップル、この三種類にあらかた区別できそう。