最近のこと
(3月に行った万里の長城)
就職先が決まるまではほんとうに「一分一秒を争って」、公務員試験の勉強をしていた反動からか、いまは伸びきったゴムのように力が出せないでいる。
というか、力を入れるのがむずかしいのだ。試験勉強のときは、時間があるときはとりあえず国際法のテキストを眺めているか、憲法の判例を暗唱すればよいとわかっていた。でもいまは、学校の課題かなにかをはじめようとしてパソコンの前に立ち、文章を書き始めようとするたびに、指の筋肉がゆるみ、うでがだらっとさがり、あげくには床にだらっところがってしまいたくなる。南アから帰ってきて以来、編入を試したり公務員試験をしたり就職活動をしたりなどと自転車操業だったのが原因だよと自分を慰めつつ、カーペットでからだじゅうの力を抜いてころがるのがこの上なく気持ちがいいのだ。ころがりながら、本にある文章をぼんやりとながめるのがいまの気分にぴったりなのである。
それでもこんな生活をつづけてよいわけではなく、そろそろ自分の気分を変えなくてはならない。そうでなければわたしは「努力するのが好き」というパーソナリティから離れて行って、なにがなんだかよくわからない人間になってしまうにちがいない。
そう思って、フランス語の学校に通うことにした。週に一度、フランス好きのおしゃれで知的な女性たちに囲まれて授業を受け、フランス語の本と映画を借りることができるおしゃれな図書館に通っていると、ひさしぶりに「なになにをしなきゃ」という外的な動機付けでなく、こころのなかからうまれてくる「これをしたい」という気持ちでなにかできそうな気がする。
現在のアルバイト(週2フルタイムで一日シフトを増やしてしまえば自分がOLか学生かわからなくなる)に加えてもうひとつ、開発協力関係のNGOでインターンをすることにした。まず自分を変えるためには環境を変えること、これがたいせつだとしんじているからである。
11月に読んだ本
- 作者: ペータースローターダイク,Peter Sloterdijk,仲正昌樹
- 出版社/メーカー: 御茶の水書房
- 発売日: 2003/07
- メディア: 単行本
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入門 人間の安全保障 - 恐怖と欠乏からの自由を求めて (中公新書)
- 作者: 長有紀枝
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/12/18
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春画展に行ってきた話
先週、大学から徒歩5分ほどの距離にある永青文庫、そこで開かれている今話題の春画展に行ってきたことのメモ。私と先輩、たった二人が受講しているフランス語の授業の一環として、マダムと三人で行きました。
ポルノはいつの時代もリピートだということを実感。同じような構図(体位や男女の関係性)、同じようなモチーフ(女性と女性の絡み、タコの怪物など異形の者に襲われる女性、巨大でグロテスクな男性器など)。現代のアダルトビデオやポルノ画像、エロマンガなどでも描かれているような、そんな事柄がリピートして登場することに驚き。
その主題、つまりエロとは違う点についてだけれど、絵の平面的な構図、色使い、細い線などが、なんとまあ現代のマンガイラストと酷似していること。
絵ももちろん興味深いけれど、もっと気になってしまったのが観客層。(知的な雰囲気をかもしていているけれどただの好色家かもしれない)老人たちと、BLで騒いでいそうな、ぼそぼそとずっと会話し続ける女の子たちのグループと、モードなおしゃれからするに美意識が高そうなカップル、この三種類にあらかた区別できそう。
10月読んだ本
贈与関係ではなく「借り」の関係を築くことで、ネオリベラル、「自律的な個人」の幻想をもとにした新自由主義のイデオロギーとたたかう、という、定番といえば定番の コミュニタリアンな考え、根幹にあるテーマをひたすら繰り返している文章だけど、わかりやすくやさしく、ちょっとしたエッセイを読んでいるような気持だった。
ドイツあたりの小説の翻訳本を読んでいるような気持。ブリキの太鼓みたい。小川洋子さんの文章が好きだ。心をぐさっとえぐるような、現実に根差した物語をもとめがちなわたしとしてはなんとなく物足りなく感じた。
あるある小説ってウケるけど、それっていい小説なのかわからない。主人公たちが極端すぎてあまり感情移入できなかったけど、彼らの人生観のようなものになるほどと考えさせられることは多かった、かも。
窪美澄さんがほんとうにすきだ。決して華やかでも美しくも正しくもないのが人生であり、おろかできたなく、不合理なのが人生。それゆえの良さを描くのが本当にうまい人。
予定調和から抜け出すために書(というかネット)を捨てよ、街(できれば海外)に出よ、とすすめる一冊。とてもバランス感覚のある人で、読んでいて気持ちよかった。東さんの本、読むのいつもものすごく時間がかかってしまうけれど、これは大学から家に帰る40分くらいで読めちゃうくらいシンプルな内容&文章だった。
どのページもきらきらしている。デザインをひたすら掲載しているだけなのに、まるで童話でも読んでいるような気持。おまけについてる解説の文章がとてもうつくしく、かつ歯ごたえもある。
- 作者: ミランダ・ジュライ,岸本佐知子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/08/31
- メディア: ハードカバー
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読書中。
日本のフェミニズムはアメリカのそれとものすごく違うので、また勉強しなければと感じた。
ブラックユーモアあふれる一冊。
読み途中
父と同姓同名・政経卒・南アフリカ専門というやたら縁を感じる人の一冊。
時代はアフリカであることよ。
東京
生きていくということは、昔思っていたよりもむつかしくないような気がする。でも、やさしく、きれいなものを大切にしながら生きてくのは本当にむつかしいと思う。
東京はなんでもある。
ものがありすぎる。豆乳をのみたいとコンビニによれば、3種類くらいの類似の商品がならんでいてえらぶのも一苦労だ。チョコレートを買おうとしたって、ビスケットや板チョコ、焼きチョコ、生チョコ、これでもかという種類のチョコレートがさまざまなメーカーから売られている。
そして、人が多すぎる。アジア人にもこんなにバリエーションがあるのかとおどろくばかりだ。街を歩けば、聞きたくなくても耳に入ってくる会話、目はちかちかと点滅するネオンの文字が飛び込んでくる。すると、世界が私の周りにたちあがって、わたしを急き立てる。
電車の広告は、体中の毛をそりなさい、からだを無臭にしなさい、英語を勉強しなさい、婚活しなさい、とあらゆる手立てを用いてわたしをせきたてる。あれを買わなければ、これをしなければ、あそこへ行かなければ。広告にうつる、完璧な笑顔を浮かべた皺ひとつない妙齢の女性が、仕事も家事もこなし、お金があって、しかも余裕のある生活なんていうものを声高にうたう。そんなイメージにこころがまどわされ、でも、目を閉じることも耳をふさぐこともできるわけもなく、わたしはひたすらこころをそんなものたちに慣らすしかない。わたしのこころのなかの、かすかな声だってきこえるわけがない。路頭に迷うような情報の氾濫のせいで、すべてはかきけされてしまい、自分の心の声なんて存在するのかさえもわからなくなってしまいそうだ。
ものかき
最近仕事で記事を書いているわけだけど、ひんぱんにじぶんじゃないなにか、社会にはびこるあの虚構の存在にのまれそうになって怖くなる。よくあるキャッチーな文章をまねていると、じぶんがみじんも思っていないようなことを平気で書いてしまうのだ。そんな文章をかいているときの自分は、無責任で、けいはくな人格のわたし。じぶんで考えるのが面倒なとき、そのじぶんじゃないなにかの人格にのっとられてしまう。じぶんが思っていないことは書かない、そう決めないと、わたしがわたしでなくなってしまいそうだ。
だれかが言っていたように、人は権力を使うのではなく、権力に支配されるのだ。
生理は悪いものでもない
生理ほど嫌いなものはないが、生理がなければどうなってしまうのだろうと思うこともある。
生理が毎月近づくにつれて、肌は荒れはじめ、体を重く感じるようになり、気分もむやみに淀みがちになる。じぶんの体が少しずつうまくうごかなくなると、そろそろやってくるな、と嫌な予感がする。やがて下腹部の、奥のほうがじんじんと痛み出し、そこに一か月で溜まったぬるりと血のかたまりが、ぽたり、ぽたり、と膣から漏れ出し、生理がはじまる。
ひとによって生理痛の深刻さはちがうというけれど、わたしはどうやら生理痛によって苦しまねばならぬからだに生まれたらしい。赤ん坊用のおむつとなんらかわらぬ、というよりもむしろ老人用のおむつに似ているとさえいれるような不格好なナプキンを下着に着け、なにがおきているのかことばにできぬような鋭い痛さに不格好に身をよじり、なんでもしますからこの痛さをどうにかしてください、といつもは祈らぬ神に情けなく懇願し、湯たんぽやかいろで必死に局部をあたためている、この不格好な自分のすがたを笑ってしまいたくさえなる。生理ほど不格好でみじめなものはない。
生理がおわると、からだがじぶんのものとは思えぬくらい好調になる。肌はつるりとするし、からだはなんでもできそうな気がしてしまうくらい軽く感じる。生理がおわるたび、あたらしい自分に生まれ変わったような心持になる。
生理はだいきらいだけど、わたしの生活のリズムを整え、ひと月ごとに生まれ変わったようにリフレッシュさせてくれるものでもあるのことは否定できないので、いやだいやだと悪態はつくけれどもやはりこれなしにはいきてゆけないなあと毎月思うのであった。