女は女である

雑記帳

テロの恐怖とは、「大気を支配すること」である

ドイツの哲学者であるペーター・スローターダイクが著した「空震 テロの源泉にて」は、Luftbeben、英語にするとAirquakeというタイトルで2002年に出版された。2001年のニューヨークにおける同時多発テロを受けての考察が本書の中軸となっている。今年の11月13日に勃発したパリでの同時多発テロによって再び明らかになった国際社会を支配するテロの恐怖について、発表から14年たった今も依然としてこの書は深い洞察を与えてくれる。

本書でスローターダイクは、戦闘の技術が発展した20世紀には戦闘方法に大きな転換があったと論じる。それは敵対関係にある者同士の戦いに「環境」の概念が導入され、攻撃が「敵の身体」ではなく、その生存に不可欠な日常の「環境」を標的とするようになったということである。彼はこの戦闘方法の転換を、1915年の毒ガス兵器の使用、そしてこの兵器の処刑・民族浄化への応用、生物・化学兵器の発明、人間存在の気候学的解明への、そして現代の消費社会における「エア・コンディション」の技術として用いされるまでの歴史を辿りながら説明している。

本書はまず1915年第一次世界大戦中のドイツ軍による毒ガス使用のケースにさかのぼる。毒ガスは、「呼吸」という人の生存に絶対に不可欠な行為を逆用し、生命条件である「大気」をその個人の生命の破壊に用いる「兵器」と転換させる。のちにこの毒ガス技術は、「害虫駆除」というレトリックのもとに行われたユダヤ人虐殺などの民族浄化や、犯罪者による死刑執行にも用いられることとなる。毒ガスは、「呼吸」という人の生存に絶対に不可欠な行為を逆用し、これをその個人の生命の破壊に用いる。この攻撃方法の転換は、私たちを脅かすテロリズムの起源となったとスローターダイクは論じる。つまり、人を直接的に覆う、生存に不可欠な「大気」を支配し命を脅かす兵器に転換することが、今日のテロの本質であるというのである。

さらに気候学的解明が進み、テクノロジーが発展するにつれ、原子爆弾空爆などの大量破壊兵器が登場した。これらの技術の発見は、世界中のあらゆる環境が、「ガス・燃焼室」となり人の生命を奪う兵器になりえるだけでなく、放射線兵器・生物兵器の登場によって認知不可能な放射線や化学物質も私たちの生命を脅かす「潜在性」を持つ可能性を生み出した。つまり、私たちを取り巻く環境が「不可視の攻撃者」となり、現代において私たちは恒常的な恐怖を抱きながら生活をせざるを得ない状況に転換したとスローターダイクは結論付ける。

彼が同書で提示したテロの本質は、先日起きたパリの同時多発テロに対する人々の反応もよく説明している。先日、パリに住むフランス人の友人・カロリーヌと電話をした際に彼女が口にしたある一言がある。「シャルリ・エブドの襲撃の後は、パリの人々は怒っていて、あちらこちらでデモや集会が開かれていたの。でも今回のテロの後は、いつテロが起こってもおかしくない、という恐怖から起きるデモの数もぐんと減ったの。みんな家にいる。だってこれが一番安全だから。」実際に、パリ警視庁もテロの危険性を考慮し、非常事態宣言を反映してデモ行動を全面的に禁止している。民間だけでなく、公的機関もテロを懸念し人々の自由を制限しているのだ。この意味で、ISISはヨーロッパの人々の「大気」「雰囲気」を恐怖で支配することに成功しているといえるのかもしれない。しかも、この恐怖はネットを伝わり遠く離れた私たちの国にも伝わってきているのだ。

2002年に書かれたという時代性のためではあるが、スローターダイクはインターネットというツールを考慮していない。インターネットテクノロジーは世界をテロリズムにとってさらに好ましい環境に変えたと私は考える。私がすぐパリの友人に安否の確認のための連絡ができたように、世界のどこかで起きた出来事は、すぐに世界中に広がる時代である。パリで起きたテロのニュースは、またたくまに世界中の人々に伝わり、それと同時になまなましい恐怖をも伝える。

また、インターネットは恐怖の「源」を増やし、テロリズムによる「大気」の支配をより徹底させる効果を有しているようにも思える。ISISはネットを駆使し、人々を魅了しテロリストとなることを訴えかける。単純にテロリストが増えるという恐怖が増えるだけではなく、隣人もテロリストに代わりうるという恐怖も増える。実際に今月2日、ISISに共鳴したカリフォニア州在住の夫婦が福祉施設で14人を射殺するというテロ事件も起きた。彼らは善良なムスリム教徒だと近所の人からも評判だったゆえに、他民族を受け入れてきたアメリカ社会への衝撃も大きかった。ネットで得た情報に感化された隣人がいつでもテロリストに代わりうるという恐怖は、スローターダイクが提示した、「大気」を支配し命を脅かす兵器に転換するというテロリズムの恐怖をさらに助長しているといえるだろう。

スローターダイクは、本書でこのテロの恐怖に対抗するための策を提示していない。最終章「展望」で彼が提示した未来の予測は、人々は恐怖に対してパニックに陥り烏合の衆と化するであろうという悲観的な観方だけであった。すべてが潜在的に危険である時代においては、人々は環境へ強い不信感を抱き、従来信じられていた合理性さえも疑わしいものになってしまうと彼は論じる。そして「普遍的に平和な共存」が実現不可能に見える環境においては、人々はある閉鎖的な空間・団体の利益を保護することを至上原理とするようになる。恒常的に生命存在を脅かされる恐怖に興奮した人々は、「全体主義的」で「日和見的主義」な「トランス状態」に陥り、無知蒙昧的な集団と変貌を遂げるという彼は論じるのである。この彼の悲観的にも思える分析は、2001年同時多発テロの後、ブッシュ政権アフガニスタン侵攻に熱狂的な支持をしたアメリカ国民の心理状態の本質を突いたものであるといえるだろう。

テロリズムへの恐怖が私たちを取り巻く大気を支配し、普遍的・そして潜在的に恐怖が満ちているという論理の前に、私たち市民は圧倒的に無力に思える。この恐怖に立ち向かうために、私たちに何ができるのだろうか。私はパリのテロ事件で妻を失った夫がFacebookに投稿した文章に、この支配を打破するための示唆を見つけた。ここで彼の文章を引用したい。

You want me to be scared, to distrust my fellow citizens, and to sacrifice my liberty for security. I will play on.

(訳:あなたたちは私に恐れを抱いてほしいのだろう。隣人を疑い、安全のために自らの自由を犠牲にすることを。(でも)私は日常を続けるのだ。)

スローターダイクが論じたように、彼はテロが人々に恒常的な恐怖を抱かせることを目的としていることを理解したうえで、彼らの思い通りにはならないと宣言しているように思える。彼はこの文章を以下のようにしめくくる。

Now it’s just the two of us, my son and I, but we are stronger than all the armies of the world. In fact, I do not have any more time to waste on you, I need to go and get Melvil, who is waking up from his nap. He is only 17 months old, he will eat his afternoon tea as always and then we will go and play as always, and this little boy’s entire life will be an affront to you by being happy and free. For he will not hate you either.”

(訳:もういまは私と息子のたった二人の生活だ。でも私たちは世界中のどんな軍隊のよりも強いのだ。はっきり言わせてもらえば、私は君たちに割く時間などないのだ。私は昼寝から目覚めるメルヴィルを迎えに行かねばならない。まだ17か月の彼はいつも通り午後の紅茶を楽しみ、外に遊びに行かねばならない。この幼子の人生は、幸福で自由に生きることで君たちへの辱しめとなるだろう。なぜなら彼も君たちを憎しむことはないのだから。)

昼寝から目覚める息子・メルヴィルといつも通りアフターヌーンティーを飲み、いつも通り遊びに行く、いつも通りの日常生活を続けるのだ、と彼の文章をしめくくるのだ。自己の生活を取り巻く雰囲気にテロの恐怖を滑り込ませないこと、そしてその圧倒的な恐怖や憎しみに自らの人間性を支える理性を奪われぬようにすること、これこそが、武器を持たない私たちが対抗しうる唯一の手段なのではないだろうか。

 

Bilefsky, Dan, Caffarel , SladeYannick. “Paris Attacks: The Violence, Its Victims and How the Investigation Unfolded.” The New York Times. 2015年12月2日. http://www.nytimes.com/live/paris-attacks-live-updates/victims-husband-tells-terrorists-i-will-not-give-you-the-gift-of-hate/.

スローターダイク, ペーター. 空震―テロの源泉にて. 翻訳者: 昌樹, 仲正. 御茶の水書房, 2003年.