女は女である

雑記帳

ホームシックをなおしてくれた本たち

どうやらわたしはホームシックにかかってしまったみたい。

日本の生活の中にあった、形容するのが難しいあの雰囲気をとてつもなく恋しく思っている。日本に帰りたいとは思わない。だって、帰ったとしても、私はきっとまた別の居場所を探そうとするだろうから。ボーヴォワールがいうように、場所をうつしさえすればもっと幸福になれるだろう、とわたしたちは思ってしまいがちだけど、本当は場所じゃなくて、その人のこころもちこそが大切なのだ。

人生とは、病院のようなものだ。そこでは患者それぞれがベッドの位置を変えたい欲望にとらわれている。この者は、どうせ苦しむなら暖炉の前でと望み、かの者は、窓際なら病気がよくなるだろうと信じている。

  私もまた常に、どこか違う場所ならもっといいに違いないと感じている。場所を移すということは、私がいつも自分の魂に問いかけているテーマなのだ。

  「いってごらん、我が魂よ、冷たくなってしまった哀れな魂よ、リスボンで住むのはどう思う?あそこは暖かいだろうし、きっとトカゲのように元気を取り戻せるさ。この街は海辺にあるんだ。建物は大理石で作られ、住民は野菜が嫌いなので木という木を引き抜いてしまうということだ。お前の好みに合っているし、光と鉱物と水で作られ、人々を元気にしてくれるんだ。」

  我が魂は答えない。

 「お前は動くものを眺めながら休息するのが好きだから、オランダに住むのはどうだろう、あの至福に包まれた土地で?お前は美術館で絵を見るのが好きだから、きっと気晴らしになるさ。ロッテルダムをどう思う?お前は人家の近くに係留している船の帆を見るのが好きだろう?」

  我が魂は無言のまま。

 「バタビアのほうがもっといいかもしれない。熱帯の美と結婚したヨーロッパの精神がそこにはあるから。」

  何の言葉も返ってこない。我が魂は死んでしまったのだろうか。

 「お前はとうとう、災いにしか楽しみを感じないほど麻痺してしまったのか。もしそうなら、死のアナロジーであるような国へ行こう。始末は私がするから、荷物をまとめてトルネオに旅立とう。いやもっと遠くへ、バルト海の果てまで行こう。出来ることなら、日常の生活からはるかに離れて。そうだ北極に住もう。そこの太陽は斜めにしか地面を照らすことなく、昼と夜がゆるやかに交代するおかげで、変化がなく、単調そのものだ。まさに死の片割れのようなところ。我々はそこでゆったりと闇につかり、北極のオーロラは我々を楽しませるために時折、地獄の花火が反射したようなばら色の花束を贈ってくれるだろう。」

  ついに我が魂は爆発し、さかしくもこう叫んだ。

  「どこでもよい!この世の外であるならば、どこでもよい!」

(N'importe où hors du monde/ ボードレール)

 

ただ、ぼんやりと、日本の生活をなつかしく、恋しく思っているだけ。帰る場所があるという淡い期待を抱ける、この恋しく思っている状態がもしかしたらいちばんよいのかもしれない。

この大学での生活は楽しい。仲の良い友人もいるし、お気に入りのレストランもあるし、なかなか美味しいお寿司を食べれる店だってある。授業の内容もぜんぶわかるし、日常のどうでもよいような会話をかわすこともする。日本の友達が恋しくなればスカイプできるし、フェイスブックをみればみんながなにをしているかはなんとなく想像できる。映画はいっぱい見れるし、本も読めるし・・・。

でも、どうしてもこの世界になじめない、空虚感をいだいている自分がいるのだ。ここは日本でないからかもしれないし、もしくは私が育った母国でないからなのかもしれない。だから、わたしがなじむことができる、なじむことをだれからもゆるされていると思える世界に身を置きたいと思っている。それがホームシックの感情をおこしている、のかも。 

なじめない、とおもうのは、ここでの毎日の質感が、私が慣れ親しんだ日本のそれと大きく違っているから。たとえば、テレビで流れる流行歌や、広告の配色やそのデザインや、アメリカ人の表情の作り方が、わたしにとってはなじみがないもの。そのを一種の系統として認識してしまう。黄色人種の顔の特徴に目がいってしまって、それぞれの顔を区別できない他人種ようなものだ。その表層の違い、スタイルの違いがいやに目について、その内容まで心が入り込めない。何を示しているかはわかる。ただそれがどのような位置にあるのかを判断することが出来ない。

 

その「入り込めなさ」に、息苦しさと違和感を感じてしまって、なにかもっと入り込めるもの、そしてわたしに入り込んでくれるものにすがりたいという感覚を覚えている。自分は疎外されているし(疎外ということばの調子はつよいけれど、これ以外に適切なことばが思いつかなかった)わたし自身もここにあるものをどこか疎外してしまっている。自分が「他者」であることをとことん思い知らされる。

 

ひらがなの曲線、文字だらけのネオンライトの街、大きなピンクリボンのついたダサいエナメルバッグ(サマンサタバサのかっこわるいピンクのバッグ)、みたいなものたちが作り出す、スピッツミスチルの曲が生まれえるあの雰囲気、あの洗練されていない「と思える」雰囲気を、とても懐かしく思う。

 

図書館で見つけた日本語の本たちを、いっきにぐぐっと摂取したら気分がだいぶ楽になった。考えてみれば11年前のノースカロライナ以来でこんなに海外に滞在するのははじめてだし、一人暮らしもはじめての経験なので、こういうふうになるのも当然なことだ。この感じは、ちょっといやだけど、こんな気分を経験できるのも留学の良さだなあと思っている。

 

本を読むと、自分の人生が多くの人生のたったひとつでしかないということを実感できて、すこしほっとする。それに、小説家の表現や視点を借りてみることで、自分の人生に対してもっと客観的になれる気がする。なやんでいることは、たいしたことないじゃないか、と思える。だからいものがたりといつもいっしょに暮らしていたい、と思う。


この土日で読んだのは以下のとおり。

何者

何者

 

 「何者」を読んでいる時、心臓がずっとどきどきしていた。クリスティの「春とともに君を離れ」と同じ鋭さ。これのおかげでホームシックはほとんど消え去ってしまった。甘いことをいってるんじゃない、どこでも、日本であっても、いつも息苦しさを感じていただろう、と思い出させられているようで、これからもこのままじゃ息苦しい人生が待っているよ、といわれているようでもあって。いろんなことに文句を抱いてしまいがちな私だけれど、その度にこの本を思い出そうと思う。

 そして、眩しいくらいにまっすぐで健康な心根をしている友人たちを、もっと大切にしなければと思いました。だってそういう人たちといっしょにいれば、彼らの論理が正しい世界がわたしのまわりに広がるから、わたしもそんな人間の一人になれる気がしそうだもの。

 

共喰い (集英社文庫)

共喰い (集英社文庫)

 

いつか詳しい感想を書きたい。 

 

苦役列車 (新潮文庫)

苦役列車 (新潮文庫)

 

 

アサッテの人 (講談社文庫)

アサッテの人 (講談社文庫)

 

 とてもびっくりした。こんなに素晴らしい本を読まずにいたなんて残念だ。「自意識の病」にかかってしまったひと、そして社会に違和感を抱いてしまった人すべてに「ぴん」とくる話だろう。予定調和の世界から逃避できるのか。という話。もう一度読む。

 

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉後編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉後編 (新潮文庫)

 

セックスに必然性が感じられない調子はあいかわらずだけど、ものがたりがドラマチックでおもしろくていつもみたいに細部のディテールが気にならない。

 

 

ハーモニー ハヤカワ文庫JA

ハーモニー ハヤカワ文庫JA

 

ライトノベル風の文章の調子に慣れるのにずいぶんな時間がかかった。表現は独創的だけど、あまりきれいだとはおもえなかった。

ディストピアの話で、オーウェルの1984の系譜を継承しつつ、現代の問題をおりまぜつつ、ライトノベルの調子をまじえているようなお話。斎藤純一先生の公共哲学の授業を思い出しながら読んでいました。物語をすすめるために歴史の事象をやら国際関係やらを使っていたのだけれど、そのあつかいかたが粗雑だったのが悪印象でした。

 

本を読んだらとても元気になったので、今週もリラックスしつつ頑張ろうと思う。

 

グローバリゼーションのもとに輝くインド/"City Dwellers: Contemporary Art from India" (Seattle Art Museum)

グローバル化の流れがあらゆる国の文化にも多大な影響をおよぼしているのは周知のこと。

豊潤な文化をもつインドもその例外ではなく、グローバル化がつれてきた資本主義システムと消費社会はその文化に大きな変容をもたらしている。

 

わたしたちがインド文化と聞いて思い浮かべるような、サリー、ヒンドゥー教の神々の像、カレーやナンみたいにステレオティピカルなものたちだって、グローバル化の影響を受けて違うかたちを見せるようになってきているのだ。シアトル美術館(Seattle Art Museum) の3階で行われている"City Dwellers: Contemporary Art from India" は、現代インド社会への新たな視点をわたしたちに与えてくれる。

 

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ダウンタウンにあるワシントン州の中心的な存在シアトル美術館

 

長い廊下の壁に沿って、Dhruv Malhotraの写真の連作、"Sleepers"がかけられている。地面で寝ている人もいれば、自転車タクシーで、がれきの中で寝ている人だっている。寝ている場所、そしてその色彩があまりにふつうでないので、フィクションであるように感じてしまうけれど、これは実際にMalhotraが外で眠るさまざまな姿を彼のカメラにおさめたものなのである。

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SleepersDhruv Malhotra

いくつかの眠りにふける姿たちの中で特にわたしの関心をひいたのは、ベンチで丸まって眠る男の写真。不自然なくらいに鮮やかな緑の芝生、不気味なくらい赤い空と荒廃した建物の姿は、まるで悪夢の中にでてくるシーンのようだ。彼は洋服以外になにもまとっていない。彼の眠りを邪魔してしまいそうに色鮮やかな世界の中で、男はまるで敵対する世界から自分を守るように、小さく、かたく丸まってベンチの上で眠っている。この構図は昔みた、現実から(酒の力を借りて)逃げるように身体を丸める女性を描いたピカソの"Abinsthe Drinker"を連想させる。

 

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Abinsthe Drinker/パブロ・ピカソ

眠る男は暗闇にとけ込み、目覚めることを拒否するように、きびしい現実から逃げるように、こんこんと眠りに耽っている。 写真は絵画よりも現実を捉えるのに適している、とよく考えられているものだけれど、もちろん現実を正確に捉えることはできない。光や色はレンズや印刷によって変わるし、構図はアーティストの感性に強く影響されるからだ。つまり、アートとしての写真は、アーティストの意図を反映しつつ、かつ「より現実的である」という説得力も有している。アートとしての写真こそが、現実のゆがみを指摘するのに最も適している手法であるのかもしれない。

インド経済は急速な速さで成長をしているけれど、その一方で、格差も拡大している。少数の裕福な人びとがその経済成長の恩恵を独占し、その他の大勢は貧困のもとに生きることを強いられている。Malhotraの非現実的な、しかし息をのむほどうつくしい写真の連作は、インド社会が直面する問題をうつくしく、そしてシニカルに捉えている。

 

"Sleepers"が飾られた廊下を抜けると、この展覧会で一番大きな部屋がある。まずはじめに目に飛び込んでくるのは真っ赤に輝く、等身大サイズのモハメド・ガンディー像。精密に再現されたガンディーは、トレードマークである杖をひきながら、真っ白なiPodで音楽を聞きながら歩いている。

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India Shining / Debanjan Roy

鮮烈な赤は、不快感さえ催させる。私たちが歴史の教科書で見たままの<慈悲深い>はずの笑顔も、その強烈な赤色によって、攻撃的な、嘲笑しているかのようなな表情に見えてしまう。真っ赤に塗られたガンディーは、CMにでてくるようなポップアイコンに変化している。そしてアルミニウムでできている、ガンディー像の材質感はいやにキッチュで、まるで大量生産品のおもちゃのようなチープさを醸し出している。

この色と材質のセレクトこそが、この作品にこめられた風刺のメッセージを成立させているのだろう。イギリスからの独立のシンボルである「建国の父」ガンディーが、消費文化・グローバリゼーションのシンボルともいえるiPodに夢中になっている様子は、イギリスの次の支配者である消費文化と・グローバリゼーションを喜んで受け入れるインド社会への鋭い風刺なのだ。

この像のタイトル"India Shining"は2004年の選挙のためにBJPが掲げたメッセージ。インドの経済成長と明るい未来を讃えるこのスローガンを、このガンディーにつけるなんて、なんともアイロニーに満ちている。

 

大きな部屋の隅には、Native Women of South India: Manners and Customs (Pushpamala N and Clare ARni)が架かっている。

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Native Women of South India: Manners and Customs /Pushpamala N and Clare ARni

どこの文化のものかは特定できないけれど、典型的にエキゾチックなデザインの伝統衣装に身を包んだ女性が、ギンガムチェック柄の壁紙の前に立っている写真。おそらく民俗学の研究が行われているのだろう。女性はまるでプレパラートに固定された植物のような、もしくはピンでとめられた蝶のように器具にその腕を置き、観察をされている。彼女は反抗的な目でカメラ=観察者をまっすぐ見据えている。その写真を鑑賞している、観察者の立場であるわたしたちは、まるで自分が非難されているかのような感覚を覚えるだろう。これはかの有名なマネのオリンピアと同じ構図。

 

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Olympia / エデュアール・マネ

こちらに向けられたまなざしは、観察者をそのコンフォートゾーン、第三者的立場から無理矢理ひっぱりだし、<見る者>から<見られる者>に対する優位性・支配性を剥奪し、確実に存在する関係性をあらわにする。

この女性は実際にこの写真作品を制作したアーティストで、写真の中でおこるすべてはパフォーマンスなのだ。<ネイティブ>の女性は、性差別・人種差別、そしてステレオタイプに抑圧されてきた。<ネイティブ>としては支配的なグループへの従属を強いられ、西洋人からの好奇の目にさらされてきたし、<女性>としては男性への従属を強いられ、彼らの欲望のまなざしに支配されてきた。

彼女のパフォーマンスは、現代に存在する支配関係をあらわにする。そして彼女のまっすぐなまなざしは、そのステータス・クオーに小さな切り込みを入れるものなのだろう。

この作品はモノクロ。色がないというコンディションは、その作品の時代性を消し去る。50年前にとられた写真かもしれないし、今年とられた写真かもしれない。モノクロであることは作品に永遠性をあたえ、わたしたちが今の時代と無関係だと捨て去ってしまうことを防ぐ効果があるかもしれないなあなんておもったり。

 

シアトルにはこの展覧会が開催されていたSeattle Art Museum (SAM)と、そのほかにSeattle Asian Art Museum (SAAM)がある。この展示がSAAMでなくSAMで開催されたということにはとくべつな理由があるにちがいない。それはきっとこの展覧会がインド社会を超えたなにかをあらわしているからだ。消費文化とグローバリゼーションと密接に関係した現代化の、恩恵と弊害をあらわした作品たちは、いまわたしたちがいる現代社会についてもういちど考えることを促している。まあきっとこの消費文化とグローバリゼーションというものは、局地的な、たとえばアジアだけでおこっていることではないので、こっちのSAMでひらかれたのかもしれないね。

 

 

"The Common SENSE”/アン・ハミルトン(Henry Art Gallery)

わたしが通うワシントン大学には、ヘンリー・アート・ギャラリーという画廊がある。大学附属だけど、有名なキュレーターのついたれっきとしたギャラリーで、これまでも世界中のアーティストの展示が企画されてきたらしい。

 

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シアトルについてからしばらく閉まっていたのだけれど、それはアン・ハミルトンの”The Common SENSE”を設営する準備のためだったみたい。 

今回はそのアン・ハミルトンの”The Common SENSE”について書きたいと思う。

 

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アン・ハミルトンは、1966年にオハイオで生まれたビジュアル・アーティスト。ビデオ、彫刻、写真、音楽、テキストなど、さまざまなメディアを用いて独自のインスタレーションをつくりだす。この展示でも、ギャラリー中に実際にワシントン大学の所蔵品である衣装、動物の剥製、毛皮、新聞紙、童話、サラマーゴやキャロルからの引用などが彼女の意図に沿って展示されている。ギャラリー全体でひとつのアートをなしているといってもいいくらい。

 

 

 

 

この”The Common SENSE”では、わたしたちは人間の認識、触覚、ことばの関係性についてあらためて考えることになる。ハミルトンは『「触覚」こそがすべての生きとし生けるものに共通する感覚である』というアリストテレスの引用を紹介している。

 

 

 

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このギャラリーで一番大きな部屋に入ると、死んだ動物(=剥製)の、壁を埋め尽くしている断片的なイメージに圧倒されることだろう。その不気味とさえ思えるイメージたちは、大学に附属しているバーク博物館からもちだされた動物の剥製を、スキャナーにかけ、新聞紙に印刷したもの。動物はどれも体の一部しかうつしだされていない。上半身、頭、くちばし、しっぽ、脚、というように。カエルの脚は鳥のお腹の写真のとなりにおいてある。体のパーツは、他のパーツと切り離され、まったく関係のないコンテキストである白い壁にかけられているのだ。スキャナーは、実際にそのガラスに「触れ」た部分しか明瞭に映し出すことをしない。その他の部分は背景に溶けるように、ぼんやりとしか見ることはできない。他のパーツと切り離され、白い壁という無関係なコンテキストに張り出され、「触れ」た部分のみがくっきりと見えるこの状態で、わたしたちは、かつて大地や木、その仲間たちに触れたであろうそれらのパーツひとつひとつに思いをめぐらせることになる。

 

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それぞれのイメージは実は大量に印刷されていて、鑑賞者は好きなイメージをやぶりとって持ち帰ることが出来るインタラクティブ・アートでもある。そして、これは下の階にある、ギャラリーを訪問した人々をグラシンペーパーにうつしだした人間のポートレートの作品と対照をなしているようにも思える。時間が経つごとに、より多くの人がギャラリーを訪れ、ポートレイトのうつったグラシンが増えるごとに、動物のイメージは減っていくのだ。いくつかの体のパーツはすでに消えてしまい、一番下にひそんでいた白い紙が、ひらひらと風にそよいでいる、その光景は、空虚感のような感情をわたしに抱かせた。おそらく人間の過剰な、無遠慮な欲望が、動物の絶滅につながるということをあらわしているのだろう。

 

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一番下の階には、白いカーテンがかけられたカートがずらっとならんでいる。病室、もしくは遺体安置所を連想させるような、ぴりっとした、ある種荘厳な雰囲気だ。カートの迷路をとおりぬけ、カーテンをひくと、そこには毛皮のコートが静かに横たわっている。プラダのラビット・ファーコートや、アラスカのエスキモーのファーマフラー、それぞれのカートには違う国で違う時代につくられた、毛皮を用いた服飾品が配置されている。人間を風雨から守ってきたのは、いつも動物の皮膚だった。動物は自然の驚異から人間を守り、包みこんできたのだ。このインスタレーションはハミルトンからの、壮大な、これまでわたしたちを包みこんできた動物たちへの鎮魂/メモリアルなのだろう。わたしたちはこのインスタレーションを通して、これまでいかに人間が動物から恩恵をうけてきたのか、ということについて考えさせられることになる。

 

動物たちは、わたしたちをきびしい自然から守ってきただけではない。わたしたち人間の不可避な自己存在の曖昧さからもわたしたちを守ってきたのだ。この事実を示唆するのは、ギャラリーの隅にある小さな部屋の、壁の端にかけられた、一枚のモノクロ写真。注意深く鑑賞していなければ見逃してしまいそうなこの手のひらサイズの作品は、今回の展覧会のテーマには直接関係していないものの、人間と動物の関係性についてわたしたちに新たな視点を与えてくれる。この写真には、女性の口と、そこから生える無数の毛が写っている。モノクロの写真であるためにそのテキスチャはわからない。解説を読むまでは、それが馬の毛だとはだれも気づかない。わたしたちは、ほぼ自動的に、この光景、本来生えるべきでない毛が口から生えているという不自然な状況に、嫌悪感をもよおすだろう。メアリー・ダグラスという著名な人類学者は、人間はその体の外/内をあいまいにしてしまうものを「不潔」として、そして拒否反応を示すということを指摘した著名な「穢れ」論を、著書である『汚穢と禁忌』で著した。それこそがわたしたちにとって汗、爪、髪の毛、そして排泄物を、気持ち悪いものと感じさせる理由であることを指摘した彼女の理論はあまりにも有名である。からだの外のあるべきである、一束の髪の毛が、からだの内である、口の中から生えている光景は、わたしたちの身体の認識を混乱させる。この一枚の写真は、わたしたちがもつ自己存在の曖昧さ、を鋭く指摘しているのだ。長い歴史にわたって動物からつくられてきた衣服は、わたしたちの身体をつつみこみ、身体の外と内を定義する擬似的な境界線となり、わたしたちをその曖昧さから救うという一面をいだいてきたのだ。

 

この展覧会において特筆すべきことは、いたるところにアートワークだけでなく「触覚」に関するあらゆる文章が配置されているということだ。エリオットといった文学者から著名な哲学者まで、「触覚」についてさまざまな切り口から書かれた文章は、彼女のアートを解説するだけでなく、彼女のアートの一端をなしている。それぞれのことばは大量に印刷されているので、ことばを自由に収集し、自分だけの”The Common SENSE"という本をつくることもできる。ことばは、わたしたちの世界への触覚や認識を変容させていることを、アートを鑑賞し文章たちを収集する中で、強く実感することになるだろう。

 

さまざまな種類のアート、ことば、素材が彼女の意図によって位置されているこの展覧会で、たくみに配置されたありとあらゆるものは、色んな視点から意味を再構築することを促してくれる。どの部屋にいっても関係する作品に出会うように計画されていることで、集中が途切れてしまうことはない。ギャラリー全体を一つのイベントに用いることの効果、をまじまじと考えさせられた展示でもあった。

 

この展覧会は、わたしたちに人間と動物の関係性を再考させる。『「触覚」こそがすべての生きとし生けるものに共通する感覚である』ので、この展覧会はアートについてあまり知識がない、という人であっても、楽しむことが出来るものになっている。

 

4月までの展示なので、また行きたいな。

 

 

孤独を飼いならす

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(Rinko Kawauchi)

さみしさ、はいつもいつもわたしにつきまとう感情。それから逃げることをこころみたり、ほかのことで頭をいっぱいにしてその存在をわすれようとしたり、本当に、小学生のころから、長いあいだもがいていたけれど、これを私から引きはがすことは不可能なことなのだ、ということが17歳になってやっと分かった。わたしは、この感情と、一緒に生きていくしかないのだ。そして、わたしはこれを飼いならすことができないまま、無理矢理に檻に閉じ込めてしまっている。もちろん、これがわたしのなかに存在するということはときに辛いことではあるけれど、人生の美しさを感じるためにもさみしさはとても大切なエッセンスであるはず。もしもこれをもうすこしだけ、うまく飼いならすことさえできるのならば、もっともっとわたしはうまく生きていくことができるのだと思うのだけれど・・・。

 

高村光太郎の詩につぎのようなものがあります。

もう萬人の通る通路から数歩自分の路に踏み込みました
もう共に手を取る友達はありません/
ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです
私は此の孤独を悲しまなくなりました
此は自然であり、又必然であるのですから
そして此の孤独に満足さへしようとするのです

高村光太郎「人類の泉」)


この詩では友人の存在がありながらも、彼らと世界を共有し理解し合うのは一部分であり、やはり孤独であると感じている作者の心情が綴られています。

孤独は昔から文学や哲学のテーマとなってきました。それは、「人はだれしも、自分自身の生涯を一人で生き、自分自身の死を一人で死ぬもの」(ヤコブセン)で、「生き物は全て孤独である。そして人間は自らが孤独であることを最も良く知る者である。」(E.アラン)だからでしょう。孤独を感じたことのない人間はありません。孤独は人間に与えられた正常な感情の一つだと考えられます。孤独は人の精神状態に大きな影響を及ぼすものであり、人生の豊かさを左右する要素のひとつであるといえます。友人から受ける相談も、わたしが抱く悩みも、すべて根源には「孤独感」が横たわっているように感じます。

国語辞典によると、孤独とは「思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま」を指します。
論ずる前に、「孤独」の意味合いを定義づけておきたいと思います。
ひとりで生きている人がいても、さみしさ、孤独感を抱えて生きていなければ、その人は孤独ではありません。
しかし、先述の高村光太郎の詩のように友達に取り囲まれていても、さみしさ、孤独感を抱えていたら、その人は孤独だといえるでしょう。

ここでは孤独感としての意味合いの孤独について取り扱います。

孤独感とはなにから発現するものなのでしょうか。「孤独の科学」で柴田正之は、孤独な状態において、人という動物が単独では生存に不利であることが由来である、と論じています。初期の人類の中には、「独りを好む性質」をもつ人もいたかもしれないけれど、そういう性質の人は集団で生きた人々に比べて動物の餌食になったり飢餓におちいる可能性は高かったと考えられます。その結果「集団生活指向」の人々の子孫が残ったという主張です。

そもそも、人は無防備な、生きていくにはあまりにも未熟な状態で生まれます。鹿の赤ん坊は生まれて二時間で立つことができるのに、人間の赤ん坊は一年もかかるのです。人は生まれながら、誰かの助けなしには生きていくことが物理的に不可能である運命を背負っているといえます。そのような社会的な動物においては「孤独」と「生死」が直結しているのですから、孤独であることに強い恐怖感を覚えるのは自然な反応といえるでしょう。孤独感は生物学的な自己防衛の副産物とも言えます。

また、孤独それ自体が極めてわたくし的であることも挙げられるでしょう。自分が存在しているという事実はきわめて私的なものです。一生かかっても、何をしたとしても共有できないその自我の独自性が孤独感をつくる源になっていると考えられます。

「愛するということ」「自由からの逃走」で、人間が最も恐れていることとは孤独であり、それゆえ人間の行動原理は孤独の解消である、とエーリッヒ・フロムは主張しています。「私は、個人的にも社会的にも、人間の最大の恐怖は仲間からの完全な孤立、完全な追放の恐怖であると信じている。死の恐怖すら、これよりは耐えやすい。社会は追放のおどしをかけることによって、抑圧の必要を実行に移すのである。もしあなたがある種の経験の存在を否定しなければ<=もしあなたが集団から孤立してしまような不都合な感情を抑圧することができなければ>、あなたには所属すべき場所もなく、存在すべき場所もなく、狂気の危険があるばかりである。」

境界性人格障害、回避性パーソナリティ障害といったメンタルヘルスの問題は、孤独感を根底としています。孤独は人にどのような影響を及ぼすのでしょうか。

「愛するということ」でフロムは、人間の孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいというもっとも強い欲求を満たすための人間による行動の例をいくつか挙げています。一つは興奮による合一体験です。これは強烈な体験を必要としで、精神と肉体の双方に起きます。例としては、祭りの乱痴気騒ぎや男女の性的関係などが挙げられるでしょう。そのような体験は概して断続的で、一時的に気をそらすことができるものの、根本的な孤独感の解決には繋がりません。また、宗教や啓蒙主義社会主義における平等の主張も孤独感の解消の手段として挙げられています。同じ人類である、という偽りの一体感から孤独感を意識しないという手法です。格差を生み出す「自由」を理念としている筈の資本主義の思想の中にもこの「平等」の質に近いものが横たわっています。資本主義社会に置いては「一体」ではなく、個人を同一化し、没個性的な平等を理想としています。つまり人間を標準化し同じ型であることを潜在的に強いることです。これは後に引用するリースマン著「孤独な群衆」の中でも述べられています。また、他の手段としては創造的活動が挙げられています。芸術家やクリエーターは、材料と一体化することによって世界と一体化するような感覚をえることができます。しかしこれは人間同士の一体感ではないので、これも根本的な解決にはつながらないとフロムは主張しています。

近年の社会形態も人間の孤独感を助長する一要因と言えるでしょう。
リースマン著「孤独な群集」では、人間の指向類型を社会発達の段階別に三つにわけています。産業化されていない社会において、血縁社会を基礎とし、伝統として定型化した生活形式の中での生活維持には適応だけが必要となっています。適応のみを求める性格的類型は「伝統志向型」とよばれます。つぎに、ルネッサンス産業革命のような社会的な変動を経て、個人の中に内的な方向付けという機動力が増えます。新しい状況下では、神や伝統に頼るのではなく、新しい選択は個人で行わなければならないからです。自分自身の人生を自分で編集し、自己批判し、統御する類型を「内部指向型」といいます。近代になり、資本主義社会の発展を背景として、社会でどういった流行があるか、という価値判断に従って判断しようとする自己愛的・大衆迎合的な性格構造が発達してきました。中間大衆層の典型的な社会的性格とされ、他人の評価を気にして同調し、共同幻想を抱こうと努力したとしても、自らの価値判断ではないのですから、本当の自分というものによる人間関係は構築され難くなります。他人と情愛的な相互理解や協力関係を深めることは難しくなり、各個人はバラバラに分離して孤独な状況に置かれやすくなります。社会全体で共有される価値・物語は希薄化してしまい、変動的な消費社会に適応すること自体が自己目的化し他者とのつながりへの欲求と自己愛のはざまでジレンマに襲われやすくなります。

現代の社会的指向はこの三番目の「他人志向型」です。表面的に、仲間集団から望まれる選択肢をとりつづけ、その集団の生き方や価値判断とことなる指向をしめして疎外されることをおそれます。集団の動向に目を向けるあまり、他人個人そのものに興味関心を抱くことも困難になって来ます。また、消費文明の枠組みの中で他人からの承認欲求は表層的で商品・レジャー・娯楽のような物質的なものを介するようになり、共同体的な「一体感を得たい」という感情は恋愛や家族関係ではえることが難しくなります。

どうすれば、孤独感をうまく解消しながら生活をしていくことができるのでしょうか。冒頭で引用した高村光太郎の詩はつぎのようにつづきます。


「けれども
私にあなたが無いとしたら-
ああ それは想像も出来ません
想像するのも愚かです
私にはあなたがある
あなたがある
そしてあなたの内には大きな愛の世界があります
私は人から離れて孤独になりながら
あなたを通じて再び人類の生きた気息に接します
ヒユウマニテイの中に活躍します
すべてから脱却して
ただあなたに向ふのです
深いとほい人類の泉に肌をひたすのです」

 高村光太郎は、具体的な存在である妻智恵子への愛に自我をとかすことで、一般的な人類全体にとけ込み、外界と一体化し、孤独感を克服する過程をかきました。フロムの「愛するということ」では、孤独を解消するただ一つの方法として愛をあげています。ただ未成熟な共棲的結合、つまり独立していない個人と個人のあいだで生まれる関係は、愛ではなく服従関係、つまりマゾヒズムやサディズムに陥る危険があるという指摘がなされています。たとえば、妊娠している母と胎児とが相互関係ではなく母が胎児の生命線を握っているという一方的な関係であるようなものは依存関係です。実存の問題に対する、成熟した答えが成熟した愛なのです。自分の全体性と個性を保ったままの結合を可能にする人間への愛こそが根本的な解決法だというのです。その愛を行うためには、搾取する可能性をはらむ利潤関係を避け、自己を確立し、配慮・知・責任を果たすことが必要になります。


 他の健全なかたちで世界と一体化する方法もあるでしょう。脳梗塞に陥った脳科学者による「Stroke of Insight」という本によると、左脳機能を失った彼女にはつぎのようなことが起きたといいます。時間、自我を区別する左脳機能が障害されることによって、彼女は全体的、直感的な右脳優位の世界を感じるようになりました。それは時間も彼我の区別もない宇宙との一体感と幸福感に満ちた沈黙の世界であったそうです。この体験を筆者はほとんど仏教の涅槃に似た体験として記しています。自我を他と区別する思考や言語的な思考を停止し、直感的な感性を働かせる体験を大切にすることは、孤独の寂しさから気をそらすという消極的な解決方法では決してなく、積極的な解決方法なのではないかと考えます。存在から抜け出すことが、実存的な問題である孤独から抜け出すことにつながるのです。

 わたしにとって、フロムがいうような愛というものをつかまえるのはまだまだ難しいことです。そして、自らに孤独を感じ、考える過程で、すべてを疑い始めると、ものごとに正しい基準など存在しないこと、わたしが信じていることは不確かであること、を感じてしまいます。わたしがいくら追求したところで、わたしというものはどんどん遠ざかっていきます。ベクトルをわたし自身にむけ、世界と相対化し、境界線を引くことが孤独をつくりだすのではないでしょうか。自分のことばかり考えること、これが孤独感の原因なのではないでしょうか。世界と一体化する体験たとえば言葉を失うほどの美しい景色に見とれたり、美しい音楽に恍惚となるときの無心の状態、無我夢中にスポーツや勉強に熱中する経験、無私になるくらいにだれかを熱烈に愛すること、が孤独感の根本的な解決につながるのではないのだろうかと思います。自分へ向かうベクトルではなく自分から向かうベクトルに着目することで、孤独感を克服すること、これは私にとっては一生をかけて実践することなることでしょう。

ソ連崩壊から23年、理想国について語る可能性について

 

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(Ryan Mcginley)

理想国の構想は古今東西で散見される。中国の桃源郷や、インドのシャングリラなど、人々は理想の楽園の存在を夢想し憧憬を抱いてきた。理想国の概念は多くの宗教に頻繁に登場するもので、たとえばキリスト教においてはエデンの園と最終目的地としての天国という二つの理想国の形を見ることができる。多くの理想国は、その語り手と離れた物理的・時間的距離をおいたどこかに存在するものと想定され、時には現世ではなく死後の世界に構想されることもあった。それまでは空想上の存在として描かれてきたことと比較すると、プラトンの『国家』やトマス・モアの『ユートピア』で描かれた理想国は、それまでの空想上の存在にすぎない夢想的な「地上楽園」「千年王国」などの到来や発見を待つのみの「理想国」像と一線を画している。ただの夢物語としてではなく、現世にその理想国を主体的に実現可能にするための具体的な条件を提示した文学の一系統は「ユートピア文学」というジャンルに包含することができるだろう。

21世紀において理想国について語ることは可能なのであろうか。まず、過去に構想された理想国と、その理想国像を生んだその時代の社会的コンテキストを照らし合わせ、その構想が社会においてどのような役割を果たしてきたのかを明らかにする。そして21世紀の社会について考察し、理想国について語ることの可能性について考えたい。

トマス・モアが「ユートピア」を著したのは1516年のことである。15世紀から16世紀は宗教改革ルネサンスがイギリスで盛んになった時代であり、中世社会が解体されつつある変遷の時代でもあった。ガマによる東インド航路の発見などによって経済市場が急激に拡大し、輸出用の毛織物の生産のため牧羊目的の第一次囲い込みが行われた。農民は土地を失い、貧困層の失業者が増加する一方で、都市の富裕層はさらに裕福になっていく。その様子に疑問を抱いたモアが描く理想国は、平等で戦争の無い平和な共産主義国家である。人々は財産を所有せず、男女ともに質素な服を身に纏い、金銀などは軽蔑の対象である。一日6時間以上働く必要はない。理想国ユートピアは現実のイギリスと正反対の国家像の可能性を提示している。彼の描いた理想国が、これまで歴史上に登場した楽園と同義だった想像上の理想郷とは異なっているのは、制度や法律の改正によって理想国は現世に達成可能なものであるとしたところである。これは宗教改革などによって宗教の権威が弱まるにつれて、理想は来世ではなく現世で実現したいというようになる。モアは、この書物において語り手を彼自身とせず、語り手のヒスロデイにも、彼自身を含めた他の登場人物にも優位性を与えていない。彼が社会批判のためにこれを書いたのは確かであるが、この書は社会風刺をする目的よりも提示された物議を醸す問題に関して広く議論をおこし、現状を疑問視することを促すことを目的としたのではないだろうかと考えられる。

1612年にはベーコンによって「ニューアトランティス」が著された。描かれた「ベンサレム王国」に登場する、研究所というべき「サロモンの家」の着想からは、科学が人間を幸福にするという期待が見える。

同じく16世紀には大航海時代がヨーロッパに訪れ、地球上のどこかの新大陸に理想国が存在するという考え方が生まれた。彼らは新しく到達した大陸に未知の文明を「発見」し、黄金や宝石が溢れる夢の国を想像した。食人や奔放な性生活をする、西洋の理性が通じない原住民たちの営みにディストピア的な要素を見いだしながらも、文明化した自分自身を「堕落」したと見なし、自然に生きる新世界の住民たちの国にユートピア的な要素も見いだす者もあった。メルヴィルは彼の実際の体験をもとにして著した「タイピー」で、文明化されていない民族タイピー族の国を理想的な存在として描いている。「発見」された部族たちの共同体は、ヨーロッパ人にとっては目指すべき目標ではなかったが、彼らの自然に調和した生き方こそが本来の人間のとるべき人生だとし、文明化された西洋社会を見直すきっかけにもなった。

19世紀前半には、イギリスの産業革命をきっかけとして、実践的な科学と社会工学が発達した。資本主義社会が発展するにつれて、資本家と労働者の貧富の差が広がり、劣悪な労働環境や環境汚染に寄る都市の住環境の悪化などの弊害が顕在化するようになった。社会批判として当時描かれたユートピアの多くは、当時の資本主義とは正反対の、自然と調和した共産主義社会だった。ベラミーは著書の「かえりみれば」で、人々が感性に重きを置き、個人主義が根絶された世界を描き、資本主義社会と機械文明への批判を行った。ウィリアム・モリスの「ユートピアだより」では、主人公が私有財産貨幣経済、科学技術が消滅した23世紀のロンドンに迷い込む。営利をひたすら追求した機械での大量生産ではなく、人々が創作活動に喜びを感じながらつくった美しい手工芸品が街にあふれ、それぞれが仕事を楽しんでいる。モリスもベラミーも、当時の利益至上主義の社会を疑問視し、人間的な感性を大切にすることを訴えかけている。

産業革命はさらに進み、国際的な規模に商業システムが拡大していったものの、労働者をとりまく状況は改善されてなかった。そこで登場した共同体的社会主義者がロバート・オーウェン、サン・シモン、シャルル・フーリエの三人である。この三人はそれぞれ異なる理想的な共同体を構想した。例えば、過剰な利潤追求による労働者の酷使をおそれたロバート・オーウェンは、彼自身が運営者に名を連ねていたニューラナーク村を共産主義的共同体とし、理想的な共同体の姿をつくりあげた。ニューラナーク村では消費される以上の生産はせず、児童労働は禁止し、富の個人への集中は否定された。彼の構想とそれまでの理想国像が異なるのは、個人は所属する共同体を統治するすべを学び、共同体の運営に参加し、他の共同体と利害を調整するという存在、シティズンシップをもつ存在として位置づけられた点である。その後も、理想的共同体をつくるという考えは人々に採用されてきた。ピルグリムファーザーズなどのピューリタンがアメリカに築いた共同体や、第二次世界大戦後のヒッピーによる共同体・宗教団体による共同体、自然に調和した生活を追求しているアメリカの共同体・アーミッシュなどもその一つである。

これまでさまざまな構想されてきた理想国には、おおよそ共通している点がいくつもあるように思われる。

一点目は、閉鎖的であることである。トマス・モアの「ユートピア」においてヒスロデイが語る理想国も、創立者ユートパス1世があえて切断した孤島であり、「ニューアトランティス」に登場するベンセレムも離れ小島として描かれている。他国と物理的な隔たりがあるため、鎖国しやすく、他の文明の影響を断絶することが容易だったのである。

二点目は、私有財産が否定されていることである。プラトンの『国家』においては、一般の国民も支配者も「彼らのうちの誰も、万やむをえないものをのぞいて、私有財産というものをいっさい所有してはならない」とされた。財産だけではなく、妻子の共有という構想さえされている。モアの『ユートピア』においても、財産の共有とともに、人々は等しく6時間労働し、同じ時間に食事を共同で食べ、生産物を共同体の生成員で分け合うという決まりも描かれている。そうすることによって必要以上の過剰な利潤追求が防止できると考えたのだ。

三点目は善の構想が共約されている点である。理想国の善の構想は、フーコーの提唱する規律権力のようにその国民のひとりひとりに浸透し、その国民のそれぞれがそれに対応した行動をしている。

他にも、完成されているが故に歴史が止まり、社会が既に固定されているという点も共通している。しかし、これまで描かれてきたこれらの要素を含む理想国像が、地上に実現することはほとんど不可能であるということをソビエト連邦の失敗が明らかにしてしまった。二十世紀になって出現したファシズム共産主義は、これまで語られてきたユートピア思想が、全体主義のもととなることが歴然としたからである。それは二点目と三点目に見られるように、国家は個人を同質なものととらえそれを管理し、個人の自由を犠牲に秩序を保つ考えが成立不可能だったためである。

また、これまで構想された理想国の実現が現代において不可能なのは、その構想自体だけが要因ではなく、外的要因にもよる。グローバル化、情報化社会の拡大により先述一点目はもはや成立しない。これは「幸福の国」と形容されてきた小国・ブータンの例にも見ることができるのだ。ヒマラヤ山脈に位置するブータン王国は、多くの先進国がGNPの改善に重きを置いた経済政策を採用しているのに対し、GNH(国民総幸福量)を国の指標としている。ブータン王立研究所所長である、カルマ・ウラはつぎのようにGNHについて説明をしている。「経済成長率が高い国や医療が高度な国、消費や所得が多い国の人々は本当に幸せだろうか。先進国でうつ病に悩む人が多いのはなぜか。地球環境を破壊しながら成長を遂げて、豊かな社会は訪れるのか。他者とのつながり、自由な時間、自然とのふれあいは人間が安心して暮らす中で欠かせない要素だ。金融危機の中、関心が一段と高まり、GNHの考えに基づく政策が欧米では浸透しつつある。GDPの巨大な幻想に気づく時が来ているのではないか。」

ブータン王国はかつて構想された理想国といくつかの点で類似している。しかしこの国でも、14年前にインターネットとテレビが解禁され、国外からの情報が流れ込むようになり、国民に消費文化が急速に浸透した。多くの輸入をするようになった国家は、負債にも苦しめられている。

どの国もグローバル化の時代の中で資本主義の影響を逃れることは出来ず、逃れようとするのならば鎖国政策をとらなければならない。しかし鎖国政策をとる国家の多く、たとえば北朝鮮などは、個人の自由を制限することでしか成り立たず、ディストピア化している。

これまでの理想国の構想が実現不可能だと判明した現代、理想国について語ることは可能なのだろうか。私は依然として可能であり、また有益であると考える。

理想国の構想はこれまで現実逃避のためではなく現実を打破する思考であり、社会を見直し新たな可能性を提示する役割を果たしてきた。トマス・モアも「ユートピア」の最後で、「私としては、例えユートピア共和国にあるものであっても、これをわれわれの国に移すとなると、ただ望むべくして期待できないものがたくさんあることを、ここにはっきりと告白しておかなければならない」と語っているように、必ずしも実現を目的としたものではなかった。これまでの各時代の理想国像を考察しても、その時代の矛盾への疑問を投げかける社会の鏡像としての役割を果たしていたように思われる。90年代初頭に崩壊したソ連も、ある時期のアメリカでは、資本主義社会への疑問をなげかけるために対照させる存在であり、修正資本主義などを生み出すことにも繋がった。「ユートピアの歴史」を著したグレゴリー・グレイズが、「ユートピアへの志向とは、可能と不可能の狭間にある空間を探求することなのだ」「ユートピア北極星であり、道標であり、人のあり方を改善していく永遠の探索のために持たされた地図の目印なのだ」と述べているように、理想を掲げることによって現状打破を画策するために、達成目的とではなく対照することを目的として理想国を構想することは有意義なものである。9.11によるアメリカのレジームの限界が浮き彫りになったこと、3.11によりこれまで有効なエネルギー源と考えられていた原子力の危険性の見直しなど、これまでの現状の破綻が浮き彫りとなった今、理想国について改めて構想をしなおすことは大きな意味をもつはずである。

参考文献

川端香男里(1993)『ユートピアの幻想』講談社講談社学術新書)

クレイズ, グレゴリー(1993)『ユートピアの歴史』(巽孝之, 小畑拓也訳)東洋書林

モア, トマス(1957)『ユートピア』(平井正穂訳) 岩波書店岩波文庫

ベーコン,フランシス(2003)『ニューアトランティス』(川西進訳)岩波書店岩波文庫

モリス, ウィリアム(2013)『ユートピアだより』(川端康雄訳)岩波書店岩波文庫

プラトン(1979)『国家(上)』『国家(下)』(藤沢令夫訳)岩波書店岩波文庫

ベラミー(1953)『かえりみれば』(山本政喜訳)岩波書店岩波文庫

「意識高い系」高校生の功罪

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(Yuki Aoyama)
わたしが高校生だったころ、いわゆる「意識高い系」の世界にあしをつっこんだことがある。
 
はじめて学生団体のイベントに参加したのは高1の春休みのときのこと。そのイベントは、高校生と大学生が集まり、いくつか分科会に分かれて、設定されたトピックについて議論をすると言うもの。その学生団体のメインイベントは一泊二日の本会で、実際に政治家や学長に立案した政策を届けにいく。

私にとって、自分の考えを言える場所があるんだ、政治や社会問題から生死についてまで「重い」トピックを話せる場所があるんだ、と知ったのは、衝撃的な経験だった。公立の小中高で育った私は議論をする授業なんて経験してこなかったから、同年代と意見を交換する場はとても目新しく映ったもの。それに、軽やかに・スムースに・スマートに生きることをよしとする高校生カルチャーの中では、友達と議論をする機会もそうそうなかった。だからこそ思ったことがいえる、その学生団体の場を理想郷のようにも感じたのかもしれない。「議論ができる」感銘を受けて、そのままその団体の実行委員になった。
 
「議論ができる」こと以上に魅力的だったのは「世界が広がること」だった。
私立高校生や大学生の才気あふれる人たちと話すのはとても刺激的だった。学校に行って、部活へ行って、家に帰るというルーティーンの生活にはあきあきしていた私にとっては、学生団体の「ミーティング」や「書類作成」は目新しくて面白いアクティビティだったし、私立大学附属生(学生団体で活動する学生のほとんどが早慶の附属生だった)の進路の話を聞くのも、放課後にいつも乗らない電車に乗って、いままで知らなかった場所に行くのもとても新鮮なものだった。キーボードを使えない同級生が多い中でパソコンに熟達していったり、休み時間に企業と電話をしたり、大学生の友達が増えていくことには(今考えてみればばからしいけれど)優越感さえ感じた。自分の世界がどんどん広くなっていく気がした。とても楽しかった。世界が広がること、視野が広がること、これが課外活動の一番の良い点だと思ってる。
 
ただ「高校生の学生団体」に違和感を覚え始めたのは、だれも叱ってくれる人がいないということと、そして活動の内容と成果がすこしも新奇性がない、つまり大人の世界のおままごとでしかないということから。ちょっととがったことをいうだけで取材されるし、こんなことができるなんてすごいねえ、と周りの大人から持ち上げられた。私は富山県まで「交通費を払ってもらい」「出張」して、高校生代表として自分の意見を言う機会があったのだけど、そのあとに共同通信社の女性から取材を申し込まれたりした。その褒め言葉にはかならず「(高校生なのに)」という前提がついていることを理解していながらも、自分自身を強く肯定されたような気持ちになったものだった。そして自分を露出するほど、皆に知ってもらうほど、もっと褒めてもらえた。自分はこんなにすごいんだよ、こんなことができるんだよ、と。周りの「意識高い系」学生の中にもFacebookTwitterを駆使してすでに「セルフブランディング」のようなものをしている人もいたけれど、露出するほど有名になって、ちょっとした「有名人」気分だ。
 
高校生だから、活動や意見のクオリティが大人のそれに劣るということは避けられないこと。私たちが高校生でありながら大人のようなことをしていたけれど、やはりそれらはままごとにすぎないのだ。私たちが大人と差別化できるとすれば、それは「学生の視点」や「若い感性」といわれるようなものから派生するものごとたちだ。でも、「学生の視点」「若い感性」というふうに形容されていた私達の意見も、メディアで使い古されているアイデアとことばで構成されていて、斬新さは皆無で、議論の中で新しいアイデアやことばが化学反応的に生まれることもなかった。だれかの意見を自分の意見であるかのように言う学生たちは決して少なくなかった。アクティビティだって結局は「高校生の」という形容詞を取り除いてしまえば無価値な、くだらないものでしかなくなってしまう。
 
高校生や大学生のそのような活動が意味がないといいたいわけじゃない。わたしは自分の所属している団体が大好きで、毎日がとても楽しかった。学校にない価値や経験ができ、いつもは使わなかった自分の能力を知って、それを発達させることもできる。そして世界を広げてくれる、とても良い経験だと思う。ただ、それは自分自身の人生にとってよいものなのであり、世界に対してよいものなのだと勘違いしてはいけない。また、そこで「すごい」とほめられて、「いまの自分がすごい」と慢心してはいけない。可能性を買われているだけなのだから。
部活に没頭する学生生活も、悶々と悩む毎日も、大学受験に向けてひたすら勉強する日々も、どれもひとしく価値がある。どのくらいがんばれるか、どのくらいたのしめるか、が問題なのだ。
 

こちらあみ子(今村夏子)

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三島由紀夫賞受賞作。高校生のときにタイトルをどこかで耳にして、なんとなく気になるなあと思いながら、なんだかんだ読み損ねてしまっていた本。ふたごが古本屋で手に入れていたので、読ませてもらった。

読み終えたとき、なんて恐ろしいものがたりなのだろう、と私は思った。

あみ子は小学生。彼女の小さな世界には、書道教室を開いている継母と、世話をしてくれる兄と、口数は少ないけど優しい父、そして大好きな同級生の男の子しか存在しない。彼女は他人の気持ちが読めないし、彼女にとって関心のあること以外を認知することができないのだ。具体的には描写されていないけれど、彼女はおそらく知的障害を抱えている。

他者との本質的な関わりから隔絶された世界に彼女は生きている。

あみ子は「楽しい」、「明るい」ものたちに囲まれ、いつもとても幸せそうだ。作者の筆致もわざと子ども向けの小説みたいにシンプルな、穏やかなものになっている。文章で登場することばも、かわいらしく、やさしいものばかり。すこし知恵おくれで、まるで幼稚園児のような彼女に近い視点から世界を描いているから。

でも彼女が幸せなのは、彼女自身が悪意や悲しみを少しも感知できないからであり、本当は彼女の人生は悲劇で満ちている。周囲からの蔑視、母の流産、彼女が原因で鬱病になってしまった母、父親のネグレクト、その状況に耐えきれずぐれてしまった兄。家庭崩壊を引き起こす要素が十分すぎるほどに揃ってしまった彼女の家族は、最後には容赦なく崩壊し、一家は離散してしまう。家族が崩れてしまったという事実にも気がつけない彼女の世界は、変わらずそのままつづいていく。

途中で登場する少年、あみ子の興味の対象外であるから少しも彼女は覚えることができないけれど、彼のあみ子の接し方が一番適切なものだったのだろう。軽やかに対応をし、排除することもなく、彼女をおもしろい子として受け止める彼。彼の態度に読者としてはすこしの希望を見いだしたけれど、彼女は破滅を止める可能性をもつ彼には少しも関心を抱くことがなく、「ふつうの」感覚をもった男の子に惹かれ、そしてこてんぱんに否定されるのだ。

調和が保たれたコミュニティの中に投入された異質な存在、これを受け止め、調和を保つこと、それは限りなく難しいことなのではないか。わたしたちは自分の生活のスピードを、快適さを、とどこおらせ、混乱させるものを嫌うものだから。